鮫神楽
〜 私が見た「鮫神楽」の今① 〜

三陸国際芸術祭八戸公演
コーディネーター 今川和佳子

八戸市に「鮫町」という地区がある。市民にとっては当たり前の名称だが、外からやってくる方は「えー!鮫??」と驚かれることが多い。

漁師町であるこの鮫地区は、かつて鮫がよく獲れたから、というのがその名の由来とされているが、他にも諸説存在するという。寒いが「サメ」、島のそばが「サム」等、説得力のある由来、そして「死者の行くところー墓地―三昧―鮫」という解釈もある。そしてこの墓と結びつきが強い演目「墓獅子」を持つのが、鮫神楽である。

今年2月、初めて鮫神楽を継承する方々にお会いした。3人のコンテンポラリーアーティストが、歴史ある鮫神楽のみなさんに稽古をつけてもらう企画「習いに行くぜ!東北へ!」の一環で、わたしはコーディネーターとして参加していた。
鮫地区は、八戸で2番目に高齢者の割合が多い地域。よって、郷土芸能の世界でも共通の課題とされる少子高齢化による後継者不足が、この鮫神楽においても大きな問題であると、人づてに聞いていた。稽古場である鮫町生活館にたどり着くまで、さぞかし年配者が多いのだろうな、子どもなんているのだろうか?と不安と緊張感でいっぱいだったのを今でも思い出す。
しかし!!!ベテラン勢に混じって、次々と子どもたちが集まってくるではありませんか!そして、子どもたちの楽しそうな明るい声!鮫神楽の第一印象は、予想に反して、こうした子どもたちの存在が一番に目に飛び込んできたことだった。

子ども達の稽古風景

鮫神楽のベテラン勢を「鮫神楽連中」という。そして同時に、舞台には立たないが、この鮫神楽を守り、応援する存在として「鮫神楽保存会」が存在する。人数は少ないが、両者の強固な信頼関係によって、鮫神楽が守られているんだなと感じる。しかし、稽古をじっと見ていると、継承のために並々ならぬ苦労と工夫をされていることが分かる。具体的には、もう何十年もお蔵入りになっている演目を再演するための、舞やお囃子、歌の稽古。やったことのない子どもたちへの一からの指導。そして、子どもたちが辞めないで続けてくれるように、親も巻き込んでの働きかけ。想像を絶する労力である。

子どもたちと連中と

こうした日々を支える鮫神楽連中のメンバーは、子どものころからあらゆる舞やお囃子を経験してきた細川さん、樋口さん。そして、この2人よりはキャリアは短いが、地元出身で掛け歌の名人である石戸さん。タコ漁師で有名な佐藤さん。笛吹きで有名な宗前さん。そして鮫神楽史上初の女性の笛吹き、原さん。時に連中同士で議論を交わしながら、手取り足取り指導をしていく。そして、みるみるうちに上手になっていく子どもたち。しかし、こうした子どもたちが、中学、高校、大学と歳を重ねるごとに辞めていくのだという。塾や部活、バイトなど、一般的な社会の風潮が、郷土芸能の現場にもとても深刻な影を落とす。
一方で、彼らを繋ぎとめるのもまた、芸能の力だと気づかされる出来事もあった。
当時まだ高校生だった畑中君が、この鮫神楽を続けるために、八戸の大学を志望したというのだ。本人の口からその力強い言葉を聞いた時、「次代の鮫神楽もきっと大丈夫だ」と思った。そしてこの畑中君と同級生で、千葉に進学することにはなってしまったが、同じくらい鮫神楽を愛している小西君の存在も大きい。この2人が中心となって、鮫神楽連中の身体の中に眠っているあらゆる経験を、どのように受け継いでいくのか。

畑中くんと小西君

組舞 畑中くんと小西君

鮫神楽に抱いた第2の印象は、このように強力な担い手が存在していることだった。


つづく

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