チルボン仮面舞踊コラムシリーズ
① ミミとスアンダの邂逅

チルボン仮面舞踊(トペン・チルボン)が、8月 三陸国際芸術祭にやって来ます。

トペン・チルボンは歴史の中でよみがえった芸能。
戦争や政治的な抑圧でいちどは絶滅の危機に扮しましたが、
ある1人の天才的なダンサーによって蘇ったのでした。

そのダンサー名は ミミ・ラシナ
( Mimi Rasinah 1930-2010)
2010年、ミミ・ラシナは惜しまれつつ亡くなりましたが、孫のエルリ・ラシナがその魂の舞踊を今も継承しています。

インドネシア ジャワ島西部の海岸沿いの町インドラマユ。
西ジャワ州の芸能といえば、州都チルボンの仮面舞踊(トペン・チルボン)がよく知られ、いくつかの流派がありその1つの拠点がインドラマユです。

ミミ・ラシナはチルボン仮面舞踊の家系の9代目。
日本軍の占領時に、仮面は兵隊にすべて踏み潰され、ただひとつ奇跡的に残った仮面が、今も大切に伝えられています。
しかし、以前この仮面を付けて踊った者の顔から外れなくなり、ついには顔の皮膚が剥がれてしまうという事があってから誰も使ってないと言います。

残された一枚の仮面とミミ・ランナ

1970年代から、様々な事情で活動を停止していたミミ・ラシナは、地域芸能の調査でチルボン地域に入っていた音楽学者のエンド・スアンダにより発掘されました。

何もかもが廃れかかったひとつの地域芸能が、この2人の出会いによって、再び息を取り戻し、やがて世界的な脚光を浴びることになったのでした。


つづく。

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