EVENTイベント開催情報
終了【三陸のまつり】大槌まつり2024.9.20(金)- 22(日)
- 2024
- 鑑賞
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開催日
2024.9.20(金)-22(日)
大槌稲荷神社と小鎚神社の合同例大祭。神輿に虎舞、鹿子踊、大神楽などのさまざまな郷土芸能や手踊りなどが連なり、町を練り歩きます。白装束の曳き手たちがかけ声を上げ、一心となって行なう神輿の川渡りは感動的で、大きな盛り上がりを見せます。
会場
岩手県 大槌町一円
2024年のスケジュール
9月20日(金) | 大槌稲荷神社 宵宮祭奉納舞 | 17:30~20:30 |
9月21日(土) | 大槌稲荷神社 神輿渡御 | 07:20~18:20 |
9月21日(土) | 小鎚神社宵宮奉納舞 | 17:00~20:30 |
9月22日(日) | 小鎚神社神輿渡御 | 08:30~17:00 |
出演団体
安渡大神楽 | 安渡虎舞 | 臼澤鹿子踊 | 金澤神楽 |
城内大神楽 | 城山虎舞 | 金澤鹿子踊 | 雁舞道七福神 |
中須賀大神楽 | 向川原虎舞 | 上亰鹿子踊 | 大ヶ口手踊り会 |
松の下大神楽 | 陸中弁天虎舞 | 大須賀青年親交会 | 桜木町手踊り会 |
周辺観光情報
蓬莱島(ひょうたん島)
大槌町の大槌湾内に浮かぶ島。『ひょうたん島』で親しまれています。周囲約200mの小島で、大小2つの丘が連なったひょうたん形をしているのが特徴です。歩いて渡れる島で、島には灯台と弁天神社があり、漁民の守り神、弁才天像が祀られています。
所在地 | 岩手県上閉伊郡大槌町赤浜2丁目 |
問合せ先 | 0193-42-5121 (大槌町観光交流協会) |
自然派厨房 凛々家(りりしや)
大槌の漁師が営む店、新鮮な海の幸はもちろん、角煮などの肉料理も美味しい。メニューが豊富でデザートもあり、ゆっくり満足できる。
所在地 | 岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里1丁目3−53 |
営業日 | (昼)火~水・金~日11:00~14:30(LO14:00) (夜)火~水・金~日17:30~21:00(LO20:30) ※定休日 月・木 |
電話 | 0193-44-2366 |
その他の観光情報はこちら→https://otsuchi-ta.com/
アクセス
首都圏からのアクセスモデル
発着 | 交通機関 |
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往路 | |
(07:16)東京駅発ー新花巻駅着(09:50) | 東北新幹線 はやぶさ101号 |
(09:57)新花巻駅発ー釜石駅着(12:07) | JR釜石線 |
(12:18)釜石駅発ー大槌駅着(12:35) | 三陸鉄道リアス線 |
お祭り鑑賞・宿泊・観光など | |
復路 | |
(13:34)大槌駅発-釜石駅着(13:53) | 三陸鉄道リアス線 |
(14:18)釜石駅発-新花巻駅着(15:57) | JR釜石線 |
(16:19)新花巻駅着-東京駅着(18:56) | 東北新幹線 はやぶさ110号 |
その他の交通アクセス情報はこちら→https://otsuchi-ta.com/access.html
地域
出演団体:プロフィール
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松の下大神楽
町内のほかの大神楽と同様に盛岡七軒丁の芸人に由来するという言伝えが残されています。江戸期・盛岡七軒丁の芸人が南部藩主より下賜された獅子頭三頭のうち一頭(光雲作・命名鶴千代)をもって大槌向川原に移住し、 当時、大槌の代官がその者を召し抱えたとされます。文献・記録は残っていません。 昭和に入り、この向川原大神楽の継承者が減少したために近隣の「松の下」 の有志によって引継がれ、昭和37年 以降に松の下大神楽と改名され現在に至ります。獅子頭・用具等は東日本大震災で被災しましたが復興支援により再開しました。
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城内大神楽
寛永年代、小鎚神社が現在地に遷宮鎮座した頃、山伏修験者が伊勢流の太神楽を代神楽として陸中閉伊の七明神に持ち込んだのが始まりとされる説や、大槌代官のすすめで七軒丁(盛岡仙北町付近)から習ったとも伝えられる小鎚神社奉納の大神楽です。演目などは町内他の大神楽とほぼ同じですが、雌の獅子といわれ静かに雅やかに舞うのが特徴です。 小鎚神社祭礼の神輿渡御に随行して歩き、門打ちをします。 東日本大震災の津波により被災しましたが支援により 屋台や装束など復活させ現在に至ります。
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向川原虎舞
昭和23年、郷土芸能を通じて青少年の健全育成を図ることを目的に向川原地区の青年会活動の一環として取り入れたのが始まりです。 当初、吉里吉里出身の師匠の指導を受け「和藤内」を取り入れていたが、数年後釜石の虎舞団体との交流の中で踊り・囃子の教えを受け、それが現在の踊りの原形です。後継者不足が危惧された時期もありましたが、釜石の虎舞団体より再度指導を受け活性化を図りました。 東日本大震災の大津波のため人的・物的被害を受けましたが、復興支援と会員の熱意で乗り越え、活動を続けています。
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中須賀大神楽
起源は定かではありませんが、江戸時代末期と考えられています。明治前期に組織化され現在に至っています。伝承地の中須賀地区は、小鎚神社里宮に隣接しており、東日本大震災の津波により町内地域は家屋も全壊し、獅子頭をはじめ全ての用具・装束・山車など流失しました。伝承者のほとんどは町内外の仮設 住宅などに転居し伝承活動の継続が危惧されましたが、伝統芸能復興支援とメンバーの熱意により活発な伝承活動が再開されています。特徴は、獅子頭に牙がなく雌であると言われ、顔の表情も柔和な顔立ちをしています。歯並びは 獅子頭の中心に一枚歯があり、それを 中心に左右に配置されています。
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金澤神楽
文化12年(1815年)頃に大槌町金澤地区に伝わる山伏系神楽です。祭事・仏事での奉納や民間の宿神楽(巡業神楽)としても古くから人々の間で親しまれてきました。金澤地区祭事は元より、昭和15年より大槌稲荷神社に仕え、冬場の巡業など盛んな活動が行われてきました。
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金澤鹿子踊
江戸中頃(約三百年前)に金沢の大家に茂市から嫁いだ人が茂市より鹿踊の師匠を招き、地元の若者衆に伝授したのが始まりとされています。 明治後半から大正にかけて対間地区にも伝承し昭和45年に保存会が結成され現在に至っています。金沢稲荷神社祭典での奉納舞(五穀豊穣・安全祈願) や新盆宅の供養の舞のほか、大槌まつりにも参加しています。現在、集落の子供に伝承活動を行っています。 町内の他の四団体とは、踊りが異なります。
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陸中弁天虎舞
昭和49年(1974)、赤浜地区の若者十数人により「赤浜虎舞」として結成。 昭和56年(1981)、大槌湾に浮かぶ蓬莱島(ほうらいじま:ひょっこりひょうたん島)に祀られる 弁天神社に、和藤内(わとうない)の大神宮のお札と吉里吉里善兵衛(きりきりぜんべえ:吉里吉里を根拠地にした南部藩御用商人)ゆかりの品が納められ、 これを機に「陸中弁天虎舞」と改名しました。伝統的な舞の他、独自の舞い方を意欲的に創意工夫し創作披露しています。 大槌稲荷神社・小鎚神社・赤浜八幡神社・弁天神社に奉納してきました。 赤浜地区は大津波で壊滅的な被害を受け、道具類も流失しましたが、仲間の無念を乗り越え活動を再開し、祭礼やイベントに活躍しています。
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臼澤鹿子踊保存会
元禄年間に房州の船乗りが伝えた踊りがあったらしいといわれています。天明年間に鹿島神宮へ赴いた大槌の村人が房州踊りに出会い、その技芸を習い覚えたのが現在の鹿子踊りといわれています。大槌まつりの小鎚神社祭礼に奉納し、神輿渡御の先祓いとして参列し、お旅所奉納、個人宅への門打ちを行います。その他、地元臼澤にある小鎚神社分社の祭礼に奉納します。戸数の少ない集落ですが、全戸が保存会に加わり盛り上げています。他集落からの参加者も活動に参加しています。「どろの木」を薄く削った「カンナガラ」をまとい、荒々しく激しい舞が特徴です。
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城山虎舞
平成8年、町内の若者達が、釜石市尾崎町虎舞の指導を受け活動を始めました。平成14年より町内の栄町、須賀町地域を拠点に活動していましたが 東日本大震災の大津波により被災しました。 大槌町の虎舞はほとんどが津波の被害を受けており、活動の拠点も失いましたが、2011年4月には残された道具類を共有しながら「大槌虎舞」として 被災者を励まし続けました。 一方、大きな支援を受けてきたお礼に全国各地や海外に出向いて演じ、 感謝と復興への誓いを訴えています。
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安渡大神楽
藩政時代に大槌代官の命により金崎市兵衛、宮澤又助の両名が南部藩お抱え芸能集団「盛岡の七軒丁」から習得し、町民に伝えたものであるといわれています。明治に入り、大漁豊作の年のみ祭礼開催するようになり一時 衰退した時期もありましたが、先人の強い熱意によって今日まで伝承されてきました。 安渡地区の大人と子どもで組織されています。なかでも当組の獅子は「雄」と言われ、舞い方も雄々しく舞います。 東日本大震災の津波で大半が流されましたが、 伝統芸能復興支援や関係者の努力で活動が再開されました。
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安渡虎舞
虎舞は江戸中期、山田町大沢より釜石市片岸に伝わったといわれ、安渡虎舞は天保年間に釜石片岸の虎舞より指導を受けて伝承されたといわれています。平成二年に保存会組織をつくり地域一丸となって伝承活動に励み、安渡小学校の児童や地域生徒達の育成を図ってきました。 東日本大震災では保存会メンバーも犠牲になり、道具の一切も流失しました。 虎舞の復活を通じて地域の再生を図りたいという思いから伝統芸能復興支援を受け、その年の暮れには装束などを揃え再開しました。出典:「大槌の郷土芸能」(発行:大槌町文化遺産活性化実行委員会)
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上亰鹿子踊
三百年ほど前から伝わると言われ、房州生まれの人が釜石栗林 (沢田)で若者衆に鹿子踊りを伝授したことからその周辺に踊りが広まり、上亰地区にもこの踊りが伝えられたとされています。この踊りは、別名「房州踊り」と云われ、元々地元に伝えられていた念仏踊りと融合し現在の踊りが形作られたと推測されます。鹿子踊の特長は必ず踊る前に褒め唄を歌ってから踊る事で、門・座敷・宿などを褒めます。大槌稲荷神社・小鎚神社祭礼を初めとし、地元和野大明神・八幡神社の祭礼の他、仏事の供養等で踊ります。出典:「大槌の郷土芸能」(発行:大槌町文化遺産活性化実行委員会)
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雁舞道七福神
七福神舞は、大船渡で踊られていたものが大正初期、三陸町に伝えられました。その後、その宿の人が釜石に移住し東前青年会の依頼で子供たちに教えたのが東前七福神の始まりとされています。 雁舞道の七福神は昭和28年当時、地区青年会の希望により東前から指導者を招いてこの踊りを習得しました。 踊りは座敷踊りであったものをテンポの速い囃子にアレンジし、踊り手は男子小学生を主体として踊り継がれ、青少年育成に寄与してきました。出典:「大槌の郷土芸能」(発行:大槌町文化遺産活性化実行委員会)
お問い合わせ
三陸芸能祭LINK事業 事務局
(いわてアートサポートセンター内) 武田
TEL:019-656-8145
mail: r-takeda@iwate-arts.jp
令和6年度日本博2.0事業(委託型)
三陸国際芸術祭2024 訪レ
主催| 三陸国際芸術推進委員会 独立行政法人日本芸術文化振興会 文化庁
共催|八戸市、階上町、洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、住田町、三陸鉄道株式会社、公益社団法人全日本郷土芸能協会、特定非営利活動法人いわてアートサポートセンター、特定非営利活動法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク
協力|特定非営利活動法人みちのくトレイルクラブ、合同会社imajimu、東北文化財映像研究所、みんなのしるし合同会社、釜石市民文化ホール TETTO