EVENTイベント開催情報

(終了)【三陸のまつり】大船渡市民俗芸能継承フェスティバルPart1 2023.12.3(日)

  • 2023
  • モデルコース
  • 鑑賞
  • 開催日

    2023.12.3(日)

  • 開催時間

    10:00開演-14:30終演予定

  • 場所

    大船渡市立三陸公民館 大ホール

  • 料金

    無料

大船渡市内の郷土芸能団体が、日頃の活動の成果を披露するフェスティバル。また、後継者養成にも視点を向け、青壮年の団体に加えて、こどもの団体が演舞を披露する機会を設け、子どもたちの技術練磨の場としています。

見どころ

市内で郷土芸能の保存継承に取り組む、計12団体が出演し、剣舞や鹿踊り、獅子舞などの勇壮な演舞を披露する。

会場|大船渡市立三陸公民館(〒022-0101 岩手県大船渡市三陸町越喜来前田36−1)

交通アクセス

公共交通機関でお越しの場合は、前泊をおすすめします。

1日目 12/2(土)
東京駅+++(東北新幹線)+++一ノ関駅+++(JR大船渡線:BRT)+++大船渡駅   大船渡市内宿泊

2日目 12/3(日)

時 間 スケジュール 備 考
07:31 大船渡駅―盛駅(07:37) JR大船渡線〔BRT:気仙沼-盛〕快速 盛行
08:03 盛駅発ー三陸駅着(08:29) 三陸鉄道 下り 釜石方面
周辺散策(潮目)-三陸公民館 徒歩(三陸駅から会場まで直行約11分)
10:00 大船渡市民俗芸能継承フェスティバルPart1鑑賞(終演14:30予定) お昼:お弁当持参がベター
17:13 三陸駅―釜石駅(17:36) 三陸鉄道 下り 釜石方面
17:44 釜石駅発―新花巻駅(19:44) JR釜石線 盛岡行
19:52 新花巻駅―東京駅(23:20) JR東北新幹線 やまびこ72号 東京行

周辺観光情報

潮目

三陸駅を降りてすぐの、とてもユニークな建物。地域の人たちと東日本大震災のボランティアが作り出した「プラスの震災遺構」。流れが違う海流がぶつかって多くの魚が集まるように、人と人とが交流する場所として「潮目」と名づけられた。地域のコミュニティスペースとして開放されているほか、みちのく潮風トレイルなどのハイカーの休憩場所としても知られている。



〒022-0101 岩手県大船渡市三陸町越喜来字肥ノ田30-10

TEL|090-8780-5509(片山)

 

三陸鉄道三陸駅に併設されていた三陸観光センターが震災後の過疎化などにより閉館したことを受け、地域住民が再び観光や地域の拠点にしようと「ニューオキライ」として新たにオープンさせた。週末を中心に地域住民が当番制で管理しており、コーヒーや軽食、地域の人たちとのおしゃべりが楽しめる。



一般社団法人キラキラ越喜来

〒022-0101 岩手県大船渡市三陸町越喜来字肥ノ田30-10 三陸鉄道 三陸駅に併設

営業時間|毎週土日 9時-17時

TEL|0192-22-9464 

Mail|info@newokirai.com

 

ニューオキライ

三陸鉄道三陸駅に併設されていた三陸観光センターが震災後の過疎化などにより閉館したことを受け、地域住民が再び観光や地域の拠点にしようと「ニューオキライ」として新たにオープンさせた。週末を中心に地域住民が当番制で管理しており、コーヒーや軽食、地域の人たちとのおしゃべりが楽しめる。



一般社団法人キラキラ越喜来

〒022-0101 岩手県大船渡市三陸町越喜来字肥ノ田30-10 三陸鉄道 三陸駅に併設

営業時間|毎週土日 9時-17時

TEL|0192-22-9464 

Mail|info@newokirai.com

 

その他の観光情報はこちら おおふなとりっぷ

地域

出演団体

青壮年郷土芸能団体(7団体)
赤澤鎧剣舞(大船渡町)
川原鎧剣舞(立根町)
白浜剣舞(三陸町綾里)
菅生田植踊り(立根町)
野形剣舞(三陸町綾里)
甫嶺獅子舞(三陸町越喜来)
前田鹿踊り(猪川町)

こども郷土芸能団体(5団体)
赤澤こども鎧剣舞(大船渡町)
浦浜こども念仏剣舞(三陸町越喜来)
平こども七福神(大船渡町)
前田こども鹿踊り(猪川町)
吉浜こども鎧剣舞(三陸町吉浜)

出演団体:プロフィール

  • 赤澤鎧剣舞

    大船渡市無形民俗文化財第一号です。 赤澤鎧剣舞は大船渡町赤澤部落に伝わる民俗芸能で江戸時代末期頃より踊られていましたが、一時途絶え、明治に入り、中興しました。昭和46年より赤澤芸能保存会の名称で「赤澤曲禄」と二つの民俗芸能を保存伝承しました。 以前には、脱ぎ垂れ剣舞と称し衣装の両袖を脱いで踊るいわゆる脱ぎ垂れの装束でしたが、約百数十年前から鎧を着装するようになり「赤澤鎧剣舞」と改められて現在に至ります。 鎧を着装し踊る様は気仙地方独特であり赤澤鎧剣舞が草分け的存在です。勇壮にして華麗で、しかも見る者に圧倒的な感動を与えます。赤澤鎧剣舞こそ鎧剣舞の元祖と言われる由縁です。

  • 川原鎧剣舞

    川原鎧剣舞は壇ノ浦で滅亡した平家一門が、武者の亡霊となって源義経一行を苦しめた際に、弁慶が経巻を取り出し経文を読み上げて退散浄仏した様子を演舞化したものといわれ、それぞれの役割を表す仮面をかぶり、鎧を着けて踊る。江戸時代後期1772年に、大川原で奉公人として働く源蔵が、習い覚えた剣舞(けんばい)を立根村川原部落の青年有志に伝えたのが起源とされ、以降、菅生家を庭元として伝承されてきました。
    この間、一時中断するも復活し、昭和11年には立根町(たっこんちょう)川原(かわら)地域(ちいき)と久保(くぼ)地域(ちいき)の住民が保存会を結成し、現在は、お盆の回向(えこう)(安(あん)養寺(ようじ)や初盆の家々を回り奉納)、地元の児童・生徒への伝承、各地の郷土芸能まつりに出演するなど、積極的に活動しています。
    市指定1969年

  • 白浜剣舞

    明治初期に隣村の日頃市集落から伝えられたといわれており、以来、踊り継がれてきました。この間、今日に至るまでには明治29年の三陸大津波による被災と剣舞用具の流失、また昭和8年の再度の津波災害による古文書や諸道具類の喪失、戦時の中断などの試練をうけました。昭和48年に復興を目指して一度保存会の結成をしましたが、5〜6年で衰退してしまっていました。昭和50年代は中断されたままに推移していました。演技は行われず、剣舞のことについては高齢者層の経験者から口伝えで語り継がれていましたが、再度平成3年7月に有志20名を会員として、保存会を結成しました。

  • 菅生田植踊り

    今から約200年前、大船渡村下船渡の某が胆沢郡に赴いて踊りを習い、当時「下船渡田植踊り」として近辺に広められ、これを立根村菅生と下欠地域の若い衆が習い覚え定着したものと伝えられます。一時廃れるが、昭和10年に菅生・下欠の有志の団体であった国旗会(代表 故金野雄三郎氏)が復活・伝承に取り組み、菅生新太翁(当時70歳)を師匠に練習に励み、昭和11年2月1日(旧正月)に「菅生下欠経済更生記念田植踊」と墨痕鮮やかに大書した幟を立てて村内を踊り歩いたのが復活の第一歩であり、 現在は菅生田植踊保存会により保存継承されています。

  • 野形剣舞

    藩政時代、野形大屋に日頃市板用から奉公に来ていた人が、部落の方々に教えたのが事の始まりと伝えられております。 由来については、板用剣舞に準ずるのが至当です。
    宝暦初年、猪川町稲子沢では京都より仏具師を招き、仏像仏具を製作、広大な舎殿を営造され、当時、稲子沢家には多数の働き人がおり、その和をはかるため、江刺に古くから伝わる念佛剣舞を導入伝授させ、それに京都の祭り等より風俗を入れ肩怒剣舞とした。
    宝暦2年、板用に分家を出し稲子沢家の剣舞の装束一切を板用に寄付。
    永年伝授する様にと申し送ったと伝えられております。
    1845年生まれの後藤善蔵氏を筆頭に、部落の青年30有余人が半世紀にわたり、明治45年まで野形部落を始め長林寺、日頃市の長安寺、赤崎の舞良等で踊られて参りました。
    その後、20年間途絶えていたのを、野形共楽会で継承することにし、会員有志に依って復活し、昭和十一年綾里村全域において踊られ、先祖の霊を慰め現在に至っております。
    市指定2000年

  • 甫嶺獅子舞

    甫嶺獅子舞は山伏神楽系の一種です。安政年間には三陸地方に大津波が発生し、また凶作が相次ぎその被害はきわめて甚大で住民の不安は言語に絶するものがありました。その折、山形羽黒山に住む山伏達が祈祷師として立ち入り、荒御魂(獅子頭)を御神体として御祭箱(御神官)に捧持してこれを背負いこの地に持ち入れた事に始まったと伝えられています。当地の獅子頭の元祖は、赤獅子頭(雄獅子)と言われ当時越喜来の久田の地に祀られその後間もなく葛西家に安置され大津波や凶作に見まわれた当時の住民達が獅子頭を引き出し無造作に踊り狂ったといわれています。しかし、現在の踊りの型がいつの時代から始まったかは全く不明です。

  • 前田鹿踊

    前田鹿踊りの始まりは貞享年中(1684~1687年)、鹿踊りの始祖とされる本吉郡の四郎兵衛の弟子・善九郎から指南を受けたとされます。これによるならば、市内で最も早く鹿踊りを移入したものとなります。仰山流を名乗る仰山流本吉派とされる由来書が残され、鹿踊りの芸態に因む故事と、鹿踊り移入・継承の経緯が記されています。明治の前半は盛んでしたが、その後衰微し明治末から大正にかけては赤崎村佐野地域・猪川村久名畑地域を指南するのみで、やがて絶えました。その後も衰微し現在の前田鹿踊りは、昭和52年に復活し、今日に至ります。

  • 赤澤こども鎧剣舞

    壇ノ浦で平家が滅亡した後、源氏一族は平家の亡霊に悩まされていました。そんな時、一人の高僧が現れ、念仏を唱えて亡霊を鎮めたとの故事に基づき、その様子を舞踏化したものが赤澤鎧剣舞です。
     赤澤こども鎧剣舞は、平成25年に県内小学校で、はじめてクラブ活動に郷土芸能を取り入れた大船渡北小学校郷土芸能部や先輩中高生が主体となって活動する「唐獅子会(からじしかい)」のメンバーが演じます。

  • 浦浜こども念仏剣舞

    浦浜念仏剣舞は、昭和47年に浦浜青年会が復活させて保存会を結成し、伝承活動に取り組んできました。
    その後、青年会組織の変化や保存会員の減少などによって継承が危惧され、60年代に「浦浜こども念仏剣舞」を発足させ危機を乗り切るが昨今の少子化や過疎化の影響により、こどもの後継者確保が難しい状況にある。

  • 平こども七福神

    平七福神は、昭和の初めに陸前高田市広田町から伝えられ、船を持つ人が多かった平地域で、大漁祈願の舞として始められたと言われており、古くから、加茂神社式年大祭(五年祭)で踊られている。
    普段は、小学5・6年生の男子と中学生の男子が踊り、小学3・4年生が太鼓、笛は大人と女子が担当している。
     

  • 前田こども鹿踊り

    前田鹿踊りは、今から約330年前、現在の宮城県南三陸町入谷より伝わったといわれている。当時の気仙地方は金山が繁栄しており、金の採掘職人がもたらしたのがこの鹿踊りである。
    踊りの流派は、「仰山流(ぎょうざんりゅう)」であり、代表的な演目は「三人狂い(さんにんぐるい)」です。3頭の雄鹿が1頭の雌鹿をめぐって争い、最後の1頭が勝ち残るというストーリーを表現している。

  • 吉浜こども鎧剣舞

    吉浜鎧剣舞は、天明・天保の頃、ききん飢饉で亡くなった人たちを供養するために始まったことから「餓死剣舞(がしけんばい)」と呼ばれ、激しい動きから「跳ね剣舞」とも呼ばれる。
    太平洋戦争の頃には中断していたが、昭和23年頃から上通集落の青年有志が再興に取り組み、その後今日まで継承されている。
    先舞(さきまい)はゆっくり踊り、中舞(なかまい)は少し早く、ササラと主剣舞の二人が激しく踊る引き舞は、一番の見せ場となっている。

お問い合わせ

大船渡市郷土芸能活性化事業実行委員会
Mail:f-ofnt@ofunato-fm.com

令和5年度日本博2.0事業(委託型)
三陸国際芸術祭2023 移ル

主催| 三陸国際芸術推進委員会 独立行政法人日本芸術文化振興会 文化庁
共催|八戸市、階上町、洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、住田町、三陸鉄道株式会社、公益社団法人全日本郷土芸能協会、特定非営利活動法人いわてアートサポートセンター、特定非営利活動法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク、IBC岩手放送
協力|特定非営利活動法人みちのくトレイルクラブ、合同会社imajimu、東北文化財映像研究所、みんなのしるし合同会社

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