CONTENTオンラインコンテンツ

シアタープロジェクト八戸 シンポジウム 第二部『三陸国際芸術祭と創造的な復興について~これまでの10年とこれからの10年を考える~』

  • 2021
  • 鑑賞

  日時 : 3月13日(日)15:00~16:30

  会場 : 八戸ポータルミュージアムはっち シアター2

  出演 : 井上智治(一般財団法人カルチャー・ヴィジョン・ジャパン代表理事)

       吉本光宏(ニッセイ基礎研究所 研究理事・芸術文化プロジェクト室長)

       武田康孝(独立行政法人国際交流基金アジアセンター)

       佐東範一(NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク理事長/
            三陸国際芸術祭プロデューサー)

  進行 : 坂田雄平(宮古市民文化会館プロデューサー)




震災、あの頃を振り返る

坂田:震災から11年目をむかえ、これまでの10年がどういうもので、次の10年をこの地域でどうしていく必要があるのかを、三陸国際芸術祭(三フェス)を振り返りながら考えていきます。三フェスの立ち上がった経緯や、3.11の頃にどんなことを考えていたのかを、まず芸術祭プロデューサーの佐東さんからお伺いできますか?

佐東: 3.11の時は『踊りに行くぜ!!』という公演で浅草のアサヒアートスクエアでリハーサルをしていて、照明が全部落ちてくるのかと思うほど揺れました。一ヵ月後には「とにかく現地を見に行こう」と、坂田さんたちと10人くらいで車で東北をまわりました。

坂田:僕も当時は東京にいて、3月に岩手に移住する予定だったけど引っ越せなくなったことを思い出します。その後、三フェスが始まるまでどんなことを?

佐東:復興に一緒に活動してくれるダンスのアーティストを募集し、手をあげてくれた50組ぐらいの人達と、2年間避難所や仮設住宅で、からだほぐしを行ってきました。けれどもジレンマとして、支援に行っても結局もてなしていただくんですよね。そもそも支援をする側とされる側に分かれること自体に違和感を感じていました。「文化と芸術で支援を」と言っても、支援をするほどの何か力やノウハウがあるわけでもない。印象的だったのは、東北自動車道で休憩をした時に警察車両と自衛隊と医療関係者の車でパーキングが満杯になっていて、喫煙所で皆がじっと佇んでもくもくと煙草を吸っている。その時に「ここにいる人たちは、明確なやるべきことがあって向かっているのに、僕は何をしにいくのだろう」という思いが強かったです。

                                        三陸国際芸術祭の始まりについて話す佐東 範一氏

その頃、東北は郷土芸能が盛んだという話を聞き、それならばアーティストとして自分の踊りを見せるんじゃなくて、郷土芸能を習って外に伝えることもひとつの支援の在り方ではないかなと思ったんです。主体はあくまで地元の人。そこで小岩さん(小岩秀太郎/公益社団法人全日本郷土芸能協会常務理事)に「引き受けてくれる芸能団体はないか」と相談し、紹介されたのが、金津流浦浜獅子躍の代表の古水力さんでした。

古水さんに大船渡の奥まで会いに行ったのが2013年の春。人生の中でこれほど緊張することがあるだろうかというくらい緊張しましたね。古水さんのお話は非常に興味深くて、分野は違っていても通じるものがあった。7時間くらい話をして、帰りがけに「アーティストに習わせてほしいんです」と言ったら「受けいれます」と。そうしてアーティストが三陸の郷土芸能をならう『習いに行くぜ!東北へ!!』が2013年秋に始まりました。ちょうど大船渡に移住をして1年目の前川十之朗さん(現・三陸国際芸術祭プログラムディレクター)とタッグを組み、古水さんと一緒にスタートしたのが全ての始まりでした。

坂田:人との出会いですね。当時、吉本さんも一緒に行かれましたよね?

吉本: 私は震災の時に東京にいて、やはり文化関係者で「なにかできないか」と話し合っていました。何ができるわけでもないけれど、いてもたってもいられない人達で集まってチームを作りました。GW明けには釜石での「やっぺし祭り」という復興のイベントのために、震災後に初めて東北へ行きました。盛岡駅で坂田さんと待ち合わせて、陸前高田にも行きました。「これは大変だ」と思いつつ、釜石で餅つきのボランティアをさせてもらったりしました。

一方、私理事を務める企業メセナ協議会では、臨時の理事会で「文化から復興に何か協力できることはないか」とGBFund(芸術・文化による災害復興支援ファンド)の立ち上げを決めました。震災から12日目だったと思います。当時はアーティストが現地に入って泥かきなどをしていたので、被災地以外からアーティストが出向く活動も応援させていただくようになりました。

                                                    吉本 光宏氏(左)

坂田:その後、三陸国際芸術祭ができたり、岩手でも文化支援ネットワークが立ち上がったりと、当時のメンバーが中心になって様々なプロジェクトが起こっていきます。では少しずつ現場からは離れたコメントもお伺いしたいです。武田さんの所属する国際交流基金アジアセンターは三フェス開始当初からアジアとの交流をサポートしてくださっていました。武田さんは今年からのご担当で、それまでは海外での経験も長いですよね。国外の視点から見た震災や復興はどうでしたか?

武田: 国際交流基金には世界20数か国に海外事務所があるのですが、震災直後、各事務所に「日本へ義援金を送りたいが受付てくれるか」「どうしたら寄付ができるか」という問合せが大勢の人から寄せられました。当時私は東京の本部で日本の舞台芸術を海外で紹介する仕事をしていたのですが、国際交流基金としては、まずは震災後も変わらず日本文化を紹介し続けることが、多くのそうした声や思いに応えることにつながると考えました。ということで、震災直後の2011年はカナダクラシック音楽公演を開催したりしていました。私個人としては、日本に思いを寄せてくださった方々に対して、公演を通じてお礼をしたいという気持ちが強かったですね。

国際交流基金が本格的に東北そして郷土芸能に関わり始めるのは、震災から1年が経った2012年3月です。1か月のツアーを組み、アメリカ、フランス、中国を巡回しました。そのときに東北、三陸の郷土芸能団体にご一緒いただきました。私が随行したアメリカには遠野の湧水(わくみず)神楽がご一緒でしたが、ニューヨークにある国連の総会議場での公演は超満員で熱狂的に迎えられ、最後はスタンディングオベーションでした。また中国では臼澤鹿子踊(岩手県大槌町)、フランスではや黒森神楽(岩手県宮古市)の皆さんに出演いただきました。

2014年に、日本とアジア──特に東南アジアの国々と双方向の交流や共同制作を通じて互いの理解を深めていくことを目的とした「アジアセンター」という部署ができ、東北との事業をいくつか行うことになりました。そのころは海外諸国の東北に対して抱く印象は震災や被災地でしたが、元来東北は実に多様で豊かな歴史と文化を有している。そうした歴史的、文化的背景をアジアの人々に知ってもらいつつ、文化の一方的な紹介だけでなく、アジアと東北の人々とが一緒に何かをしていけないかと考えたわけです。三陸国際芸術祭へのアジアセンターへの関わりはそのようにして始まりました。

坂田:東北の神楽が早々に海外に行く機会をいただけたことは、継続する力にも繋がったのかなと思います。では井上さんと東北の繋がりもお伺いしたいです。井上さんが代表理事を勤められている一般財団法人カルチャー・ヴィジョン・ジャパンには今年度から共催をいただいております。10年を迎えて参加いただく視点でお話いただきたいです。

井上:私の本業は経営コンサルタントで、楽天の三木谷浩史さんが主要なクライアントの一人です。2人で発足させた東北楽天ゴールデンイーグルスは「地域密着で活動するぞ」という新しいモデルを持っていました。そして2011年の大震災。私達はパ・リーグの理事長をしており、震災の3月末にプロ野球をスタートさせていいのかと議論をしました。結局4月の終わりまで延期しましたが、なんとか元気づける方法はないかと選手の皆さんといろんな所に行って、キャッチボールをしたりしました。その後は日本一になれて、スポーツで被災地を盛り上げたのが僕の震災の経験です。

坂田:プロスポーツチームって、劇場と似ている気がします。地域とどのような対話をしていくか、スポーツから参考になることがあるなと思っています。



三フェスのこれまでとこれから

坂田:三陸国際芸術祭(三フェス)は2014年から始まり、アジアとの相互交流を行いながら、コロナ禍はオンラインで活動してきました。三フェスの活動についてはいかがですか?

武田:私自身、アジアセンターで別の業務をしていた時間が長く、実はコロナ前の三フェスに一度も足を運んだことがありません。今になって後悔していますが、ということで実際の三フェスに即したことは残念ながら申し上げられません。
国際交流基金の大きなミッションは、文化を通じて日本と諸外国との円滑な関係を築くことですが、その時々の国の外交政策と密接に関わっている部分もあるため、時代によって重要視するターゲットや国も変化します。東南アジア各国との関係を深めるために設立されたアジアセンターは、本来ならオリンピック・パラリンピックが開催される2020年度までのまでの7年で事業が終了する予定でした。その後1年延長され、アジアセンターとしての事業はこの3月に終了します。海外との交流の大部分はこれまで国際交流基金が担っていましたが、来年度以降、三フェスがどのように海外と繋がっていくのかに関心があります。予算や資金の問題はありますが、より重要なのは、いかに人が繋がれる状況を作るかですね。そのために必要なものは、これも人、人材だと思います。三陸と海外を直接繋げる人材をいかに三陸地域で主体的に作っていくか、そして育った人材やネットワークをいかにその次の10年に繋げていくか、その仕組みを考えることが大事だと思います。

吉本:私は2014年の三フェスがとにかく衝撃的でした。碁石海岸キャンプ場での『金津流獅子躍(かなつりゅうししおどり)大群舞』では、70人が丘の向こうから入ってきて一糸乱れぬ踊りと太鼓で、天と地が繋がるような感じがしたんです。その真ん中には慰霊碑があり、震災で亡くなった方々を思いながら70人の方々が踊られたのでしょう。『金津流獅子躍』で群舞が実現したのは200年の歴史のなかで初めてだったそうで、こんな芸能があるんだということにとても衝撃を受けました。これは観光資源になるんじゃないでしょうか。海外の人に踊りを見せるよりは、太鼓を叩かせてもらったりと体験をすることが観光に繋がる。一番言いたいのは、東北で継承している人達は、踊る前に準備体操をまったくしないらしいんですね。生活に根付いているんです。そのあり方そのものを国内外の人達にちゃんと見てもらえたら、単なる観光ではない大きな可能性がある。その動きを作るきっかけを三フェスが担えたらいいですね。

井上:こんなに素晴らしい芸術文化が三陸にあることは驚きですよね。これほど面白い踊りが、舞台上ではなく観客の中に入って一緒に楽しんでいる。文化庁が三陸国際芸術祭を重視していると聞き、私達も支援しなきゃいけないと、2021年に日比谷ミッドタウンで行われる『Hibiya Festival』にお呼びしました。その時に「素晴らしいものがあるのにアピールしていない」と感じたんです。観光資源にもなる可能性がある。問題として、地域密着の活動と観光資源はどれほど親和性があるのかわからないということはありますが、東北に限らず日本中のいろんな場所にこんなに面白い芸能があることが知られていないのはもったいないと感じてます。

                                                          井上 智治氏

坂田:そもそも発信するという概念がないんですよね。三陸国際芸術祭は、芸能を発信する「窓」としての機能もあるのだと思います。

 震災から10年経って、三陸(岩手県沿岸)の人口は27万人から22万人まで減少しました。過去5年間の人口減少率は9.6%で、福島や宮城など他の沿岸の地域と比べても大きな減少率です。ある住民アンケートでは、震災前よりも伝統行事やお祭りは衰退しているものの、将来活発にしたいことに「地域の伝統行事やお祭りや地域づくり」と回答された方が最も多かった。また相談先の不足や、外部の介入の必要性が示唆されていました。人口が減っていて人材がいない。これから我々が「創造的な復興」を行っていくならば、この「人口の母数」とい考え方を市内の住民だけでなく、国内外に拡大した方がいいのではないと考えています。これからは三陸国際芸術祭を交流の入り口に、幅広い地域の方やアーティストやクリエイターを含めて考えといった創造的な人材も巻き込んで、地域課題と向き合い、社会的な価値を創造するような「クリエイティブプラットフォーム」づくりが必要じゃないかといったことも議論をしているところです。最後に皆様に、これからの10年のヒントになるご意見やご提案を伺いたいのですが、いかがでしょうか。

佐東:僕は当初から「文化芸術で復興を」と言い続けてきました。ようやく防潮堤やかさ上げなど各地が落ち着いてきたので、これからどうしたら外から人が来るのかが一番の課題になる。芸術や文化芸術は人と人を繋ぐという大きな力を持っていることを、ちゃんと発信していく必要がある。この10年の間に各プロジェクトと並行しながら、三陸の芸能マッピングを作って情報の基盤を固めています。ようやく八戸から陸前高田までのマッピングが日英言語でできてきたので、それを活かして、ひとつひとつ情報を出して積み重ねていかないといけない。

武田:国際交流基金はこの秋設立50周年を迎えますが、私たちもこれまでやってきた国際文化交流が果たして機能しているのか、悩みながら仕事をしています。そもそも日本という国そのものが50年前とは大きく変わっている。人口減少し、労働力も少なくなっている。世界やアジアにおける日本のポジションが変化するなかで、文化交流事業を専門とする私たちは何をすべきか、何ができるのか。日本が抱える課題をきちんと意識したうえで、これまでとは違ったミッションを付与していく必要があるかもしれないと思います。

話は変わりますが、ある事柄を的確に言語化する能力に長けているかどうかという点は非常に重要だと思います。芸術文化の振興だけでは予算が獲得できない時に、相手を説得したり、別の意義を付与したりすることを考えながら立ち回れる人材を、いかに三陸で抱えていくか。海外の交流も、今後は英語だけでなくアジアの言語もできたほうが良い。三陸の自治体が連携してそうした能力や専門性のある人をひとり雇えば、その人が海外と三陸を繋ぎつつ、各自治体の間を繋ぐことができるかもしれないなとも考えます。

                                                        武田 康孝氏

もうひとつ、日本で暮らす外国人をどうやって地域の文化や芸術に取り込んでいくかという問題もあります。諸外国で日本文化の紹介を主に行ってきた国際交流基金には、実はそういったノウハウを持ち合わせていませんでしたが、今年度はそうした点に注目して事業を実施しました。例えば、『カラダでつなぐ、アジア ー郷土芸能オンラインワークショッププロジェクト』は、このコロナの時代に日本各地で働きながら日本語を学ぶ人たちと郷土芸能を繋ぐという事業で、オンラインでワークショップを実施しましたが、とても面白いものになりました。意外だったのは、日本の郷土芸能を教わるワークショップのはずが、最後に「私たちの国にも伝統的な踊りがあります」と言って踊ってくれたこと。郷土芸能、伝統芸能を通して、まさに双方向で互いの文化を知ることのできる良い機会になるのではないかと思いました。

吉本:繋げていくのは簡単ではないですよね。これからぜひ母体になってほしいのは三陸国際芸術推進委員会です。日本人は三陸がどんなところか知っているけれど、国際的にはあまりアピールできていません。まずアルファベットで「SANRIKU」を発信することが重要だと思います。また、委員会メンバーの各市町村も、これまで隣町と協働してなにかやる機会はあまりなかったのではないでしょうか。産業振興や移住促進などだと互いに競合することになりますから。でも文化なら競合せず、三陸を、昔から続いている広い文化圏として共同で打ち出すことができる。

観光としてはバリ島が参考になるかもしれません。バリ島のケチャダンスは祭祀で、神への祈りが原点になっています。そのため、絶対に本物は見られないそうです。観光客には別のものを見せている。東北の芸能が同じだとは思わないですけれども、大事な前提として東北の芸能をちゃんと続けていき、そのうえでどうやって観光に活かせるかについては勉強が必要だなと思います。

そして、私が三フェスでとても良いと思ってるのは、ビジュアルなんですね。ポスターの写真をすごくこだわっていますよね。バイリンガルのサイトもできているそうで、それらをぜひ継続していただきたいです。

もうひとつ、人口減少はもう避けられない。そのうえで、郷土芸能の現場では小学生からおじいちゃんまでが一つの場に居て、同じ目標を持って取り組むことが成立している。その生き方は、まさしく芸能の新しい社会的な価値だと思います。もう経済的な価値観にはおさらばして、これから豊かな生活を築いていくにはどうすればいいのか。これは世界中の国々がやがて直面する問題です。そうなった時に、東北から新しい可能性を感じられたらいいなと思います。

坂田:観光について、インバウンドは難しいですよね。三陸は交通状況が非常に悪くて、それも人口減少の理由のひとつでしょう。なのでむしろ生活を提案していく。もしかしたら都市部の人がサードプレイスあるいはワーケーションとして、祭の時期は一緒にやることもできるかもしれない。

吉本:「文化による地域創生」について語られることがありますが、それは大規模な文化イベントをやったら人がいっぱい来てお金を落としてくれるということではないですよね。文化や芸能には人をその気にさせる力が不思議とある。移住して、この地で生きていこうと決断を促す力がある。三陸の芸能がいろんな地域から人を招き入れて、「この町に住んで何かやろう」という気にさせることができるのかなと思います。

井上:私の体験としては、2004年に楽天が仙台に来た時は「観客より関係者の方が多いんじゃないか」と笑われるくらいボロボロでした。パ・リーグの全球団が毎年40~50億の赤字だったんです。でも僕は、ビジネスのモデルを変えたらいいと思っていた。球団は稼がないけど球場が稼げばいい。そうすれば3年目は黒字になりました。冷静に見れば、物事は変わる余地がある。

もしカルチャー・ヴィジョン・ジャパンが三フェスと絡むならば、ひとつは、私達は『アジアNOW実行委員会』という組織を作ってイベントをしており、アジア各国の伝統芸能とパフォーミングアーツ、現代アートなどを紹介したいと構想しています。すでにいろんな国から「自分達の国の文化を知ってほしい」という問い合わせが来ています。開催する時には、エリアを東京だけでなく仙台や東北に広げたい。

もうひとつは、2017年に復興庁からの依頼で『東北芸術祭』の企画を立てたのですが当時、他に優先しなければならない大きなプロジェクトが決まっていて実行できませんでした。けれどもまだ「東北芸術祭をやろう」というスローガンは掲げています。これを、東北芸術ネットワークのような形で既存の芸術祭を繋げ、共通で活動する仕組み作りができないかと考えています。また、東北に所縁のあるJR東日本、日本航空、三菱地所などを巻き込みながら、具体的にどう実施していくかも計画しています。また、企業版ふるさと納税を有効活用することも大事です。かなり規模感のあるイベントをやる方向で進めています。

坂田:企業版ふるさと納税や地域おこし協力隊といったいろんな制度をうまく活用していかなきゃいけないですよね。あとは、周遊していくネットワークも重要ですね。

                                                     進行:坂田 雄平氏

この先の10年のヒントを探る

坂田:これからの10年、東日本エリアでどういったことを考えていけばいいのでしょう?

佐東: やっぱり次の10年の計画を作りたい。たとえば『三陸文化地域構想』や『芸能特区構想』のようなものですね。来年のことだけでなく、これからの10年の構想のなかで来年の目標を考えていく。最終的には、もしかしたら「芸能大学を作ろう」ということもあるかもしれない。

                                            これからの10年について話す佐東氏

武田: やはり、海外に東北の文化が豊かかを継続的に知らせていくことが必要だと思います。コロナ禍下の今はオンラインでの紹介を充実させ、「次は絶対に訪れたい」と思わせてオンサイトでの交流に繋げていくことが必要ですね。また、同じような課題を抱えている三陸以外の日本の各地域との繋がりも必要かなと思います。知恵や思いはあるけれど果たせていないことがそれぞれにあると思います。そうした思いややる気を共有して前に進んでいく。やはり、ネットワーク作りと人作りは大切ですね。

吉本: 三フェスに10年間お付き合いして、東北の豊かさ、芸能の豊かさは本当に素晴らしいなと実感しています。これからの時代は価値観がどんどん変わるので、文化や芸能が生活の中心にあり豊かな暮らしの源泉になっていることをぜひ三陸から世界中に強く伝えていただきたい。それがひいては観光に繋がるかもしれません。復興はまだまだですが、震災の伝承館もいくつかできて、訪れると衝撃を受けます。それも海外の方に伝えるべきことではないでしょうか。ぜひ三陸がこれからの新しい日本社会の在り方を発信する場所になって欲しいです。そのために計画を作るという佐東さんのアイデアに僕も賛同します。

井上: まず客観的に良いところとダメなところを見ることは必要でしょうね。東北は自然や温泉など素晴らしいものがいっぱいあるけれども、各県の交通機関が切れていてうまく回れない。交通の便が悪いところをうまく周遊できる仕組みを作れたらいいですね。

もうひとつは、どうやって東北や三陸の特徴や魅力をアピールしていくのか。元気な地方都市は、大きなベンチャービジネスを起こした出身者が、自分の生まれた都市を一生懸命応援していることがあります。だから三陸出身者でベンチャーの役員になっている人を探して応援者になってもらったり、大企業の経営者で三陸に所縁のある人を探して訴えに行ったりと、そうやって引き込んで一緒に何かやっていくと面白いことができるのではないでしょうか。

坂田: 考え続けることと、人との繋がりを作ることをやめないことがとても重要なのかなと思いました。長い時間、どうもありがとうございました。




編集者 :河野 桃子
写真撮影:株式会社フォートセンター惣門

オンラインコンテンツ一覧に戻る