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【三陸芸能つなぐ声】Episode 03|第三話「えんぶり組と八戸史 」

  • 2021

「色々なえんぶりとえんぶりの色々を学ぶ」

ー えんぶり組の中にはお芝居をしたところもあると聞きました。

古舘:あります。だから、えんぶり組で脚本持ってる所もある。もう、移動する芸能集団ですよね。劇団ですよ。

ー 劇団のように座組がしっかりしてるということは、地元の人が集まって稽古してというスタイルとはまた違うやり方をしてたということでしょうか?

古舘:ほとんどの人達が百姓なんですよ。そうすると、年間で大体同じような生活サイクルを送ってますよね。だから、冬場は何もやることがないから2ヶ月以上練習してたようです。
これは先ほどお話した田植え踊りとの関係性なんだけども、実は田植え踊りが残ってるところはあんまり米採れない所が多いんじゃないかっていう研究が最近ある。今までの話は、あくまで農作業が中心の人達の話なんだけども、あんまり米が採れない場所に田植え踊りが残ってるんだっていう研究も出されてて。そうなった場合、芸能集団的な部分をもう一度考え直さないといけないのかなとも考えています。

八戸のえんぶりで江戸時代までと明治で変わるって言ったけども、実は明治の初めに佞武多などと同時期に禁止されてるんです。
八戸の組を調べた時に、今は”どうさいえんぶり”っていう、みんな一緒にやる動きをするえんぶりが多いんだけども、一旦中止になってから復活させる動きの中で”ながえんぶり”から”どうさいえんぶり”に切り替えたと言ってる組があるんですよ。今、数としてはどうさいえんぶりの方が多いんです。明治になって禁止されて、えんぶりを復活させようとした時、どういう動きがあったのかっていうことを考えなければならないと思って。

どうさいえんぶりの太夫。烏帽子に”前髪”と呼ばれる飾りがついているのが特徴。

ー テンポが速い方がウケがいいということでしょうか?

古舘:そう。そういう風に変えられたってはっきり言ってる所もありますね。

ー どうさいえんぶりの”どうさい”っていう言葉はなんなんですか?

古舘:言われているのは、舞う時の掛け声が「どう~さい」って入るからということです。
ながえんぶりには主役がいて、他の脇役と違うから全員一緒の動きにはならないんです。だから、太夫全員が動きに合わせ掛け声を掛けるとすると、”どうさい”なんですよ。

ー 特に言葉に意味があるわけではなく単なる掛け声ということでしょうか?

古舘:最初は意味があったかもしれない。ただ、今それについて伝えてる話は聞かなくてですね。「どうさい」って声かけるから”どうさい”なんだっていうような言い方になっちゃうんですよね。

ー 中野七頭舞(岩手県岩泉町中野地区に伝わる芸能)の方は演目で『つっとんつ』っていう演目があり、どういう意味かと聞いたら、「つっとんつ」っていう口唱歌(くちしょうが)がそのまま演目名になってるって聞きました。

古舘:丁度打った歌詞の切れ目の所にそれが入って、音的にはうまく歌詞が繋がってるっていうか。節の切り替えの部分がすんなりいくから”どうさい”になったのかも知れません。

ー 主役っていうのはどういう役回りなんですか?

古舘:”藤九郎(とうくろう)”という名前があります。「えんぶり摺りの藤九郎が参りて候」という歌詞を持っているところもあり「田植えを上手くやるために藤九郎が来ましたよ」っていう意味です。その藤九郎っていうのがえんぶりの主役になってるわけです。
ながえんぶりの藤九郎は烏帽子に牡丹の花が付く。後の二人なり四人は付かない。一人が主役として少し大きめに動く、脇の二人はそれに合わせるように小さな動きにはなり、それによって藤九郎があの人だなっていうのはすぐ分かる状況。

ながえんぶりの太夫。烏帽子に大きな椿の花がついているのが藤九郎。

ー 「渋くてかっこいい」と、ながえんぶりはマニアックな人に特に人気ありますよね。演目でもお酒を飲みますし。

古舘:重地ながえんぶり組には『田の神のお昼休み』という演目があるんですよ。通常、最後に”畦止め(くろどめ)”と言う「田んぼをきっちりと作りましたよ、水が漏れないようにきっちりやりましたよ」という口上を言う人がいるんですが、その他に”中の畦止め”とか”中止め”とかって言って、この人が昼休みの時の締めをする。それからまた摺ってから最後はやっぱり畔止め。これは三人目がやる。神様の昼休みがあることで、中の摺りの人の役割もはっきりしています。

それと『えんこえんこ』って子どもの芸がある。最初っから子どもに役割分担しているのは『えんこえんこ』ぐらいなんですよ。あれは私ら子どものころは踊らんかったよね。

ー 昨日も十一日町えんぶり組の屯所に行って色々伺いましたが、昔は大人ばっかりでやってたと聞きました。

古舘:大人で芸として上手い人達が沢山いた。だから逆に言うと今の舞子は、ほとんど子どもの可愛らしさでごまかしてるようにも見えますよね。やっぱりきちんと仕上げた大人の芸が見たいなって思いますね。大人の場合、その場にいる人達の顔を見て即興も自在にできる。芸としての時間を積んできた人達っていうのは、やはり魅せてくれますね。

ー 恵比須舞や大黒舞は大人の色気があるからこそ笑えるものになりますよね。

古舘:神楽なんか”どげ舞(道化舞)”ってあるでしょ。あれは本当に大人の世界の話とか出てきたりするんで。一つの芸としてそこをストレートに出せるというか。見てる側もそれをストレートに喜んで笑ってっていう風な雰囲気があったはずなんですけれども。妙に世論が教育的になりそういう部分が避けられるというか。そういう部分をちゃんと残さないといけないんだろうけど、残せないんだろうなと。

ー 『えんこえんこ』の歌は悲しい歌詞に読み取れるんですがどうなのでしょう。お殿様にご奉公するみたいな歌詞に読み取れるんですが。

子供達の踊り「えんこえんこ」。

古舘:歌詞も組によってかなり違うし「めでためでたの若松様」みたいな感じの歌詞の組もあるんです。
重地えんぶり組の子供達の『えんこえんこ』などは地面を踏みしめるんですよ。踏みしめる動作は他の組より強い。
太夫が持つジャンギや鳴子・鍬台等も、地面を刺して大地の神を揺れ動かすという理由付けがされています。そう考えると『えんこえんこ』でも踏みしめる動作が強く感じるというのは地面の神様を揺れ動かすみたいな意味合いなのかなって、重地の『えんこえんこ』見た時に思ったことがありますね。

地面を突いて神様を揺れ動かすというのは、さっきの小正月に繋がってくる訳です。「1年の最初、これから農作業やるぞ」って。そこでの農作業のことを演じてみる時、まず神様を叩いて起こしてみたいな感じで。それは小正月の行事としては実はすごい大事なことかなと。

ー 伊達藩の方でも小正月に、権現様だけが各家に100軒200軒回ってく行事を行っていて、旦那さんの家は最後でお酒飲む、食をとると聞いています。

古舘:新しい年が始まって、最初の満月の日の意味合いってものすごい大きかったと思うんですよ。大正月よりは小正月の行事のほうが全国的に多いっていう理由はそこにあるんだろうなと感じます。

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