津波後の舞い

雄勝法印神楽、浦浜念仏剣舞、臼澤鹿子踊、城山虎舞、大石虎舞での文化交流

1.背景

2011年3月11日に日本の東北地方を襲った津波は、ほんとうにたくさんのたくさんのものを破壊し、たくさんのたくさんの想いや考えを打ち砕きました。舞踊の世界においても、多くの舞踊グループが設備などを失いました。お面、衣装、楽器など、また踊り手が亡くなるということも起こりました。それでも、踊りの神髄は受け継がれています。

この災害を思うとき、2006年のジョグジャカルタ市を襲ったM7.7のジャワ島南西沖地震を思い出します。その地震で、舞踊、音楽、ドラマや影絵芝居などのジャワ美術グループは、設備を多く失いました。例えば、ある影絵芝居グループでは大きなどらが完全に破壊しました。私が住んでいた街でも、7000人以上の方が亡くなりました。この状況の中で、私はForum Seniman Gumregah(復興芸術家フォーラム)というボランティアグループを立ち上げました。私たちは、家や家族、芸能道具を失った伝統芸術家を対象としました。壊れてしまった伝統楽器、衣装、お面を修復するお手伝いをしました。また、ジャカルタやジョグジャカルタ、スラカルタで上演する伝統演劇プロダクションを立ち上げるきっかけも作りました。日本、アメリカ、イギリス、オランダ、台湾、インドネシアを含む多くの友人からの寄付により、4ヶ月間にわたって、この緊急社会活動を行なうことができました。

2014年11月から12月まで、日本のコンテンポラリーダンスネットワークとともに、日本で舞踊の研究を行いました。私たちは、津波によって、神楽、剣舞、獅子舞、虎舞などの伝統芸能にどのような影響をもたらしたかを調べたいと思いました。この研究を通して感じた印象や得た経験を書いていきたいと思います。

2.雄勝の神楽

神楽は、本来、神に向かって踊るものです。グル(リーダー)は、練習場、お面、衣装などを失ったと話してくれました。津波により、友だちや踊り仲間も亡くなったそうです。津波のあと、伝承館を建て、新しい楽器やお面も手に入れることができました。神に向かって踊ることで、踊りの神髄を守り続けています。また、子どもや大人にも伝え続けています。

神に向かって踊るということは踊り続ける上で、力強い動機になっています。この、神に向かって踊るというところは、バリ舞踊にも共通しています。バリでは、この場合、踊りは単に楽しむためのものではなく、霊的な活動なのです。バリの人々は、この活動を“Ngayah”、つまり、“神に仕える”ことだと言います。バリや雄勝では、人と神とのこの縦の関係を踊ることで表現しているのです。私は、雄勝地域で神楽を教えていただき、とてもうれしく思っています。雄勝での経験を通して、バリ舞踊の儀式を学んだときのことを思い出しました。
かつて、ジャワ島では、宮廷舞踊は、神の代理としての王(Sultan)のために踊られていました。しかし今では、このような意味は薄れてしまいました。今では、宮廷舞踊は見せ物となっています。神と人とは縦の関係にあることを踊りにより示していましたが、人が人に見せる余興としての価値へと変わっていきました。
日本では、人と神との関係の象徴として、この神楽が継承されていってほしいと思います。この踊りはまた、アジアの文化的価値を示すものでもあります。

3.浦浜の剣舞

剣舞は、死んだ方、祖先に向かって踊るものです。私はこの踊りにとても興味を持ちました。それは、動き、振り付け、音楽、リズム、衣装だけではなく、今でも、念仏を通して、地域の中で、霊的な価値が残っているということです。ここでは、毎年8月に踊ります。一年間でそのお宅で何名亡くなったかによって、家から家へと踊り歩きます。珍しい風習です。先祖との関係を象徴しています。

祖先がいるからこそ、私たちはこの世界に今生きることができます。だからこそ、踊りを通して祖先に敬意を示し、“交流”し続けることが大切なのです。また、同時に霊的、社会的価値を持っています。祖先はこの世での旅路を終えたあと、去っていき、そして私たちが今生き続けているのです。哲学的には、祖先との関係を持つことは実際にあることです。祖先(亡くなった両親も含めます)との関係を自覚することは、若い方や子どもたちは忘れがちなので、とても大切な教育価値があります。

死んだ方への思いや思い出を通して、私たちは今でもつながりを感じられます。「内観」の練習のように、大切な思い出を思い出すこともできます。西田のりまささんから、幸福感や成功体験の内省を学びました。簡単に説明すると、この本では、私たち自身が、私たちを愛してくれた両親(祖先)ともう一度つながる方法を示しています。そのため、祖先から私たちへの愛情を感じ続けることが大切なのです。両親たちは私たちをどれほど大切にしてくれていたか、示してくれたので、霊的な関係を持ち続けることが大切です。剣舞のような踊りにはこの要素が含まれています。目に見えるところでは、踊り手や演奏者は踊りをし、霊的には、祖先への敬意を示しているのです。

私にとって剣舞は、芸能としての価値だけではなく、人格形成に深く関わっていると感じます。私たちがまだ幼かったときなど、お世話をしてもらったということから、私たちが両親に愛されていたことがわかりますが、その両親を敬うという人格形成ができるのです。両親や祖先からの愛情によって私たちは生きることができ、その両親や祖先に敬意を示すことが大切であると教える教育が剣舞だと思います。剣舞は、私たちと両親の間にある愛情の象徴だと思います。踊りを通して、愛情を表現しているのです。
祖先との縦の関係はアジアの踊りの特徴をよく示していることに、日本政府はもっと注目してほしいと思います。

4.うすざわのDEER DANCE

踊りの団体のリーダーの東梅さんがこのように話していました。「踊りの哲学というものはわからない。伝統を守っているだけなんだ。踊ることや歌うことで津波のトラウマから回復することができている。一日中悲しみ、泣き続けていた人が、歌ったり踊ったりすることで、生きていることを感じられるようになったんだ。」と。
伝統を重んじるという理由で踊り続けていることを理解するのは大切なことです。鹿のお面や衣装は、自然を象徴していることがわかりました。お面の上部には、雲や太陽の絵が描いてありますし、衣装には海や木々の絵が描いてあります。鹿子踊は雲、太陽、木々、海(空気や炎、木や水)などの自然を表現しているのです。踊りには二つの顔があります。鹿と人間です。人と自然の調和を表しています。実際、東梅さんが話されたように、この踊りを通して、津波からの生きる意味を見出しているのです。津波による悲しみから立ち上がる力になっています。この地域にとって踊りの存在がとても重要な意味を持つのです。

さらに、東梅さんは、この地域にはdeer danceを守り続けている団体が5つあると教えてくれました。これらの団体は、衣装に使うある種の木の繁栄を願い、毎年いっしょに踊っているそうです。信条として、その木を失うことがあれば、受け継がれてきた踊りをできなくなるか、または、人工的な材料で衣装を作り直す必要が出てきます。私の考えでは、日本の自治体が、このようなお祭りが守られるように、またはその木を植栽するための経済的支援を行なう必要があるのだと思います。いつか、人間と自然の調和を喚起するるような国際フォーラムとして“deer dance 祭り”ができるようになればと思います。

こんなすばらしい踊りを習うことができたことをうれしく思っています。その振り付けはシンプルですが、踊ることは簡単ではありません。足の動きが全体を引っ張るような感じで、お面が生きているかのように見せるために頭の動きも入っています。このような前に動いていく動きはジャワ舞踊にはありません。ジャワ舞踊はひとつのところにとどまり、ほとんどそこから動きません。しかし、ここで学んだことにより、日本の伝統舞踊を、その成り立ちや内容をより理解できるようになりました。人は自然を守っていく必要があるし、自然と調和していくことが大切だと思います。これらのことがうすざわのdeer danceには表現されているのです。だからこそ、教養としても、文化としても、この踊りを守っていきたいと思うのです。

5.城山の虎舞

城山の虎舞の団体のリーダーであり、指導者でもある菊地ただひこさんに、虎舞のワークショップを特別に開いていただきました。菊地さんは、10人の踊り手と演奏者を抱える団体を率いています。最初に、音楽をつけて、完全なかたちの踊りを見せてくれました。次に、動きやリズム、歌を教えていただきました。振り付けは3つの部分に分けられます。導入部分、展開していく部分、即興部分です。5拍の基本的なステップと即興部分を習いました。基本的なステップは、飛び跳ねながら前に進んでいく動きです。即興部分は、竹を持ちながら歩くことから始まります。その後、座り、竹で歯磨きをするのです。ほかの虎とともに踊りながら終わります。

音楽には「虎はどこだ?」という独特の歌い回しがあります。この即興演奏がおもしろく、見る人を楽しませます。

菊地さんによれば、かれの団体はさまざまな場所で踊ってきたそうです。2011年の津波により、練習場、お面、衣装、楽器などを失いました。また家や家族を失ったメンバーもいます。今は地域公民館を使って練習を行なっています。「虎は私たちの生きる力になっているから踊り続けているんだ」とおっしゃっています。

6.分かち合いのとき

この地域では、津波によって多くのものを失いました。津波の影響がどれほど大きかったか、公民館長の赤崎いごやさんに教えていただきました。3時間にわたって津波が襲って来たそうです。海岸近くの場所を見た後、自衛隊がキャンプしていた山に登りました。40人もの職員が亡くなった市役所跡へと連れてってくださり、津波からの避難経路を見せてくださいました。最後に、公民館を見せてくださいました。「ここに2000人以上の人が避難してきました。その晩、毛布もなくて寒さに凍えていました。恐れはありましたが、ここで助かったのです。ある人が舞台幕を切って、毛布代わりにして、みんなで使ったんですよ。」

この地域の仮設住宅の集会室で踊りを見ていただくことができたのはすばらしいことでした。ジャワ舞踊を踊り、赤崎さんとコラボしました。私はお面をつけさせていただき、彼は横笛を吹いてくれました。聴いたことがない歌だったので、どこで終わるのかわかりませんでした。踊り始めてからは彼の歌に合わせました。最初は難しく感じましたが、だんだん慣れてきました。そして、津波による人々の苦しみ、おそれを感じるようにしました。この感情のままに踊りました。踊り続けるうちに、音楽にも合わせられるようになりました。私の動きが横笛の音色と調和しました。そのとき突然、動きをゆっくりにし、ひざまずいて終わらなくては、と感じました。同時に、音楽も終わったのです。赤崎さんが私のタイミングに合わせてくれたのだと思うほど完璧な終わり方でした。「どうやって音楽と踊りを同じタイミングで終わらせることができたの?」と妻に聞かれたとき、右手で胸を指差し、「感覚だよ」と答えました。このような経験は忘れることができません。私自身と自然が個人的に結びついた特別な瞬間だったのです。

7.大石の虎舞

唐丹、大石の消防署に着いたのはちょうど12:45でしたが、だれもいませんでした。私たちのほうは、北本まりさん、前川十之朗さん、いそじまみきさん(彼女の1歳になる息子、こうたろうくん)と私の4人で、大槌から2台の車で来たところでした。まりさんが運転してくれて、みきさんとこうたろうくんを乗せ、もう一台は十之朗さんが運搬車を運転してくれていました。到着すると、十之朗さんは車を降りたので、私も彼のあとについていきました。ドアを開けて中に入っていったので、私も入りました。「ここが消防署だよ」と、小さな台所がついている共有スペースを指して、教えてくれました。他の部屋も見せてくれて、「これが自治体から提供されている消防車。男性はみな消防車の運転の仕方を学んで、山火事か起きたときなどに出て行くんだよ」と教えてくれました。

まりさんとみきさんも部屋に入ってきて、彼女たちが持って来てくれたお弁当を食べました.ごはん、魚フライ、そのほかにもたくさんの日本のおかずが入っていました。しばらくすると、男性がやってきて、暖房をつけてくれました。とても寒くて、2℃くらいだったと思います。まりさんが私を紹介してくれました。その男性は、畠山さんという方で、地域のリーダーであり、虎舞のグループのリーダーであり、漁師であり、わかめ漁師でした。さらに3人の虎舞グループの方が来られました。踊りの先生の西野さんと二人の踊り手でした。60歳前後の方々でした。

私たちは、神社や道で踊っている虎舞のビデオを見せていただきました。ビデオを見ながら、はたけやまさんが3年に1回行われるさくらまつりの話をしてくれました。このまつりは桜並木がある道で行なわれているそうです。そのあと、実際にお面をつけて、虎舞を見せてくれました。

「私たちのお面は津波で流されてしまいました。これは市からいただいた新しいお面なんです。以前よりいいもので、おそらく40万円くらいはするものだと思います。」とはたけやまさんは教えてくれました。

完全な虎舞には、5つの役の踊り手と演奏者の24人が必要です。
① 虎:男性2人
② わとない:剣を持った男性1人
③ 槍使い:やりを持った男性2人
④ みかぐら:扇子を持った8人以上の女性グループ
⑤ さらさ:両手に2本の杖を持ったリーダー

虎舞は太鼓と横笛の演奏で踊られます。踊りの構成には特徴があります。踊りが始まるのも終わるのも、さらさが決めます。さらさの役割は競技会の審判のようです。踊りの最中は、さらさは虎の力強さが表されるように気を配ります。虎役の踊り手が疲れてきて、力強さがなくなったように見えたら、踊りをとめます。そうすると踊り手たちは重いお面と衣装を脱ぎ、入れ替わります。次の踊り手たちが衣装と10kgものお面をつけると、さらさは始まりの合図を出します。終わるときも合図します。そのようなことが何度か繰り返されます。虎舞には準備がありませんが、振り付けの要素と虎の性質を大切にしています。

虎舞は二人の踊り手によって演じられます。前の人は虎のお面を持ち、後ろの人は、150cmもの長い虎の尾を持ちます。2人は2mの長い衣装(布)の中に入ります。この踊りは地を這うような動きがあったり、重いお面を手で持ったりするため、すぐに疲れてしまいます。

踊りの構成には特徴があります。このような踊りは見たことがありませんでした。準備として、踊るその場で、虎のお面と衣装を身に着けます。踊り手たちの準備が整ったら、さらさが開始の合図を出します。そうすると、槍使いとわとないによる短い会話が始まります。

やりつかい(大きな叫び声で):虎を出せ。
わとない(大きな叫び声で):わしについてこい。
このあと、音楽が始まります。
虎の踊り手が疲れ始めると、さらさは踊りをとめます。そして、また最初から始まるのです。

踊りの構成は“間”も見せています。観客は、最初の準備から始まり、お面や衣装を身に着ける場面、踊りの場面、踊りが終わる場面、お面や衣装を脱ぐ場面といった一連の流れを見ているのです。

これこそがこの踊りの力強い振り付けのもとになっているのだと思います。

なぜ漁師が虎舞をするのかということにとても興味を持ちました。「なぜ漁師たちは虎舞にそんなに熱心になれるんですか?」それに対する西野さんの答えに驚きました。虎というのは漁師の神髄だというのです。だから、踊るのが好きなんだと。虎の性質は漁師に通じるらしいのです。虎は、危険をおかしてジャングルの中を歩き回り、そして住みかに戻ってきます。その点が漁師に似ているのです。漁師も大きな危険(津波もそうですが)がひそむ海へ出て行き、そして家に帰ってきます。この深い考えが踊り続ける理由なのだと分かりました。虎というのは、勇気、強さ、そして美の象徴なのです。また、虎はアジアの国々の象徴でもあります。

8.結論

4つの踊り、神楽、剣舞、獅子舞、虎舞から、人としての認識を持ちました。4つの踊りはそれぞれ人間と、神または祖先、自然、その人自身との関係を表現しています。それぞれの踊りの要素には、とても深い考えがあります。哲学とも呼べる考えは芸術の源です。その考えによって、芸術や地域の方向性が決まります。現代芸術の踊りの要素としてこれらの4つの踊りを融合させることは、踊りを創作する際によいことだと思います。インドネシアのような、振り付けという点で現代的なものは伝統舞踊に近いものがあるはずですが、そこに現代的な要素が組み込まれなくてはなりません。これらの4つの踊りは現代舞踊を創作するときの始まりになり得るはずです。

9.2020年に向けて

2020年、日本で開催されるオリンピックで、踊りが見せられたらと思います。神楽、剣舞、獅子舞、虎舞の要素を組み合わせたものをもとに、踊りを見せることができたらすばらしいと思います。これらの4つの要素は人、神、自然との関係の考え方をよく表しています。このようなことばによく表れています。「私は、神、祖先、自然と調和しながら生きている虎なのだ」

踊りは、野外で踊る大掛かりの踊りと、屋内で見せられる現代舞踊の二つのタイプがあればいいと思います。どちらもアジアの踊り手や芸術家がいっしょに作り上げることができたら、と思います。