被災地の郷土芸能をアジアに派遣する
未来を担う若手芸能伝承者が集う
気仙の芸能/インドネシアの芸能との出会い

前川十之朗

はじめに

この事業は、三陸沿岸の復興の一端を担い気仙地域の郷土芸能を牽引する若手(10〜40歳代)メンバーが、同じく若年層が活躍する団体、インドネシア・バリ「デワプラタ」との文化交流を目的にする。芸能の盛んなバリに赴き、地域の様々な郷土芸能の継承の方法やコミュニティにとっての芸能のあり方を学ぶ。さらに、被災地であり、歴史的にも数的にも芸能に厚みのあるジョグジャカルタに赴き、集落の芸能団体や総合芸術大学に訪れ、芸能交流を果たす。

具体的な内容

気仙地域の芸能団体がインドネシアの団体との文化交流によって、芸能の果たす役割や伝承の方法を理解し合うことを目的とする。また、できるだけ、時間を共有することで、多くの発見や関わりがもたれ、点ではない長期的な交流が期待できる。視覚的にも、インドネシアの衣装と気仙芸能の衣装の色彩には類似性があり、衣装や道具の伝承や調達なども話し合い学べる。

    1. 芸能の交換:バリのデワプラタ稽古場に伺い、現地の芸能と気仙の芸能を部分的に披露しあう。
    2. 芸能を知る:バリダンスのマスクや衣装の意味、また、気仙の芸能の衣装や踊りの意味など理解し合う。
    3. 営みを知る:バリは芸能を国家規模で支える島。三陸沿岸同様に経済の中心地ではない地域で若者たちがどんなことを考えどんな仕事をしているのか?日常から交流し地域での生き方を知る。
    4. 伝承を知る:集落にとって長幼の序がどう機能しているかを知る。3歳~成人の多くの若年層が芸能を習っている。高齢者から中堅、中堅から若年層が習う、教え方を知り、今後の伝承の方法を探る。
    5. 未来を知る:祭りの意味や地域外での活動を聞き、中長期の展開、未来の芸能のあり方を聞く。また、新たな試みや創造的な取り組みも共有する。

期待される成果

日本の芸能団体は、他団体と交流しながら伝承や運営を学んだり交流することは少ない。
インドネシアの団体と未来を見据え、身体で表現し対話することによって、刺激を増加させ気仙地域の芸能のさらなる飛躍が期待出来る。特に営みの中での芸能のあり方や、師匠から若年層、老人から孫、親から子への伝承の方法を聞き多く学べる。

参加者

スタッフ:伊藤寛(映像記録)、武藤大祐(ディレクター)、前川十之朗
現地スタッフ:ミロト・マルティヌス(コーディネイト)、ヨコスカ・モミ(通訳)
派遣メンバー(大船渡市在中の郷土芸能伝承者):
松川直史(笹崎鹿踊)、佐藤光春(笹崎鹿踊)、金野昭博(永浜鹿踊り)、近江啓吾(下権現堂・前田権現舞)、鈴木昭司(石橋鎧剣舞)、横道毅(地の森権現舞)

スケジュール

2/24(金)
新幹線(夜)にて、東京へ 羽田に近いホテルに宿泊
(8:30集合・羽田へ)

2/25(土)
GA875 芸能団体(予定:7人)羽田11:45→ジャカルタ17:40
jakarta 空港近くのホテルへ

2/26(日)
GA210 ジャカルタ13:05→ジョグジャカルタ14:20
ジョグジャカルタ 国立芸大、宮廷舞踊、地域芸能、マスクメーカーなど訪問し交流

2/28(火)
GA250 ジョグジャカルタ08:25→デンパサール10:15
バリの名門、ガムランとダンスのカンパニー「スダマニ」との交流、劇場観劇等

3/4(土)
GA880 デンパサール00:50→成田0820(朝着)

ジャグジャカルタ編

    2017年4月8日に行われた
    『被災地の郷土芸能をアジアへ派遣するプログラム報告会』の発言より

2017年2月26日

総勢8人でジャカルタからジョグジャカルタへ。
GA210 ジャカルタ13:05 → ジョグジャカルタ14:20

芸能ジャンル:ワヤン・クリッ Wayang Kulit
団体名:スムナル SUMUNAR
人形遣い:ブランジャン Dalang Cilik, Ki Branjang

レポート:金野昭博

空港へついてすぐに主に子供が演じるワヤン・クリッの団体の稽古場へ向かいました。ワヤン・クリッとは影絵人形芝居のことです。15:00頃、 住宅が密集する場所に到着すると、すぐに大音量の演奏が聞こえてきました。

ここには、ダランと呼ばれる人形使いのブランジャン君という小学6年生の男の子がいました。ブランジャン君は代々影絵人形使いの家系で、4歳から活動を始め2013年から2016年まで4年続けてインドネシア全体の影絵人形使いコンテストで優勝しているそうです。

彼は、影絵の他にも演奏やジャワ舞踊もできるということで、ジャワ文化を代表する芸能のほ とんどができるスーパー小学生で、ジャワ舞踊のワヤンウォンは、影絵の人形のように平面 的な動きなので、このように狭い場所でも横移動だけで出来ます。

彼は、一人でたくさんの登場人物を操りながら物語を語り、時には手で箱を叩き、足で金属の 板を鳴らしながら物語を進めていきます。

彼が手と足で鳴らす音が合図となって、クンダンと呼ばれる太鼓が中心となり演奏しているので、彼は指揮者の役割もしています。

登場人物が多いシーンでは、バナナの木に影絵を刺して物語を進めていきます。
日本では影絵というとスクリーンに影を映し出して影を見ますが、ワヤン・クリッは表と裏を自由に行ったり来たりして見ることが出来ます。
ジャワ人は可愛い人形使いを見られたりするのでスクリーン裏のこちら側から見るのが好きだそうです。

最近ブランジャン君は、影絵で使われる人形の作り方も習っているそうですが、影絵に使われる人形は水牛の皮で出来ていて、単純な影とならないようにすごく細かい穴が無数に開けられていました。なぜ影絵なのに色が付けられているのかというと、スクリーンの裏はあの世であるとされ、色の付いた美しい世界が、現世では白黒にしか見えないということを表すと言われています。

2017年2月26日 17:30〜

芸能ジャンル:ガムラン&アカペラ
団体名:オマー・チャンクム Omah Cangkem
代表者:パルディマン・ジョヨネゴロ Pardiman Joyonegoro

レポート:佐藤光春

続いて、夕方17:30に、アカペラグループのオマー・チャンクムに伺いました。
ここは、代表者であるパルディマンさんの施設の芸術集会場となっております。

こちらで2006年に起きたジョグジャカルタ地震の際に子供達への心のケアとしてガムラン指導を始めたことが起こりとなって、現在でも多くの子供達がガムランの演奏やアカペラの指導を受けているということです。

こちらで自分たちが同じような地震・津波等を伝え、被災からこうして芸能を保存していくということを説明しました。

続いて子供達からガムランやアカペラを披露していただきました。
いろんな楽器があるんですけども、みんな器用にこなしておりましてアカペラの歌とかは自分たちで空いた時間に集まって作曲するようなレベルのあるものでした。

鈴木昭司さんが、笛を披露して、やはり文化の違いというものもあって
珍しいリズムだったということでした。

続いて私たちが子供達にこのガムラン、この楽器の演奏を教えてもらいました。
結構簡単そうに見えるのですが、意外とパッと行ってパッとやれるようなものではなくなかなか凄いことやってるんだな子供達って、率直にそういう感想でした。

そして最後にみんなで合わせます。
こんな感じで常に子供達元気いっぱいで輝いているっていうとっても楽しい時間を過ごせました。

最後になると歌も突然歌い出してとても楽しい交流の場となりました。

2017年2月26日 20:00〜

芸能ジャンル:王宮内のジャワ宮廷舞踊、ジョグジャカルタ様式
団体名:カダル Bu kadar

レポート:近江啓吾

2/26、20:30頃、ジョグジャカルタ3つ目のプログラムとして、ジョグジャカルタ様式のジャワ宮廷舞踊について伺うため、ジョグジャカルタの宮廷内にお邪魔しました。
ジョグジャカルタはインドネシアの古都であり、現在の州知事は第10代のジョグジャカルタの国王にあたる人だそうです。

この青い服をきた方がカダルさんという方で、8代目国王のお孫さんです。
年齢は73歳ですが、現役の踊り手で、また、踊りの指導もされています。

松川君がカダルさんの着ている服を褒めたところ、これはカダルさん自身をモデルに作られたTシャツだそうです。
2016年にジョグジャカルタの観光文化局の催したイベントの際に作成されたものだそうです。

この飲物はスチャンという飲物で、ある木の皮と生姜、シナモン等が入った飲物です。これにライムを搾ると色が黄色く変わり、現地の人はジャワビールと呼んでいるそうです。
インドネシアはバリ島を除いて90%以上がイスラム教徒の国で、アルコール類は飲まない人々です。


この後、宮廷舞踊について色々とお話しを伺いました。
お話の中で、指導する際に大事な事というのを何点か教えていただいたのですが、この宮廷舞踊では、踊り手の体格や体形にあわせて微妙に手の位置や動かし方を違えるよう指導することや個人個人の性格にあわせて、例えば、気の強い子はみんなの前で誤りを指摘するが、気の弱い子はみんなのいないところで指摘を行うなど、細かい部分に気が利き、気遣いできることが指導者には求められるというお話があり、参考になりました。

その後、実際に踊りを見せてもらいました。
また、踊りの際の手や指の形、動かし方などを教えていただきました。


これでジョグジャカルタの1日目が終わりました。

2017年2月27日

2017年2月27日 9:00 〜

大船渡の郷土芸能団体実演含む(笹崎鹿踊、永浜鹿踊、石橋剣舞篠笛)
芸能ジャンル:舞踊 Jurusan Tari, ISI yogyakarta
団体名:ジョグジャカルタ国立芸術大学(通称ISIイシ)、舞踊学科

レポート:佐藤光春

続いて2日目です。
ISIという芸術大学のほうに伺いましてコーディネーターでもありますこの大学の教授のミロトさんの授業風景です。
舞踊専門で教えているかたなのでこうしてダンスの基本的な動作を今授業でやっているところです。

続いて、こちら学部長さん。
こちらの大学も2006年の地震でほぼ建物が倒壊するという大きな被害を受けていたということでその時のお話や復興のお話も聞くことができました。

そのあとこちらの講堂で東日本大震災についてのお話などを…

私たち鹿踊組の3人はこのあとの実演に向けて準備しておりました。
場所を移しまして実際に実演をしております。
結構学生が多く集まってくれてやっぱり日本の芸能が珍しいんだなということで観客がいると私たちも気合が入ります。

笹崎のあとに装束付きの長浜鹿踊が登場、やはり装束があると見栄えがします。
この写真を使っての説明や一緒にワークショップという形で基本的な動作などを一緒にやらせていただきました。

そのあと、学生たちのほうから伝統舞踊のジャビラという踊りを披露していただき、芸能の交流というかたちでやらせていただきました。
学生たちも大変興味深く見てくださったと思います。

2017年2月27日 14:00 〜

大船渡の郷土芸能団体実演含む(笹崎鹿踊、永浜鹿踊)
芸能ジャンル:ジャテイラン Jathilan
団体名:テュロンゴ・ソンゴ Turonggo Songo
住所:Tangkilan RT 09, Sumbermulyo, Bambamlipuro, Bantul(Jl.samas km 17)

レポート:鈴木昭司

『発表:鈴木昭司』 Jathilan adalah

2006年ジャワ島大地震の震源地の村を訪れました。(死者の数は3500人)人口1000程の村の家々は一軒もなく全て倒壊した。多くの人々が家の下敷きになり30人もの村人が亡くなった。
海まで9キロ、津波だ!とのデマがあって人々はパニックになり、家の下敷きになった人々の救助が遅れてしまったと悔やんでいました。

地震直後、亡霊をいくつも見た村人がいた。 あぁ岩手でも同じ、同じ!といいました。
復興の過程で、村のコミニュテーの崩壊を取り戻すため、国やNPOなどからお祭り道具の資金を援助する話が出たが、とてもお祭りが出来る状態ではないと思ったが、いざやってみると、村の復興の機運が高まった! お祭りや、行事を再開してよかった。=あぁこれも岩手も同じ、同じ!といいました。

村の周囲は、田園地帯で、二毛作。
昔の脱穀機。5寸釘の針で、自転車のペダルを改造して作っていた。
ワラがあったので、縄をなったら喜んでくれた。 岩手も同じ、同じ。

蒸したイモでできた、ガンズキやホットケーキのような味のする食べ物。甘すぎなかった。

私たちが村を訪れることを知り、村祭りを数日ずらして村人総出で歓待してくれた。
”ジャテイラン”はジャワ語で、”めちゃくちゃに動き回る馬”=(じゃじゃ馬みたいな)の意。
ジョグジャカルタを中心とするジャワで有名な、竹で編んだ馬(クダ・ルンピン)を用いる最も古い地域芸能だそうです。
馬を操って踊るが、様式・衣裳・構成・物語は多種多様に飛んでいて、もともとはマジャパイット王朝時代の戦士達の一生を描いていたそうですが、現在では物語もオリジナル性に飛んでいる。

しかし現在でも、魔物や獅子が出て来て戦士の邪魔をするが、戦士はそれに打ち勝つというスタイルを残してるものが多いそうです。

”ジャテイラン”には、踊りと魔力の両方の要素を持っていて、憑依(ひょうい=霊がのり移る)したり
トランス状態になるまで踊り狂う事も多いそうです。庶民の娯楽であったが、植民地時代は、植民地支配に負けず、頑張っていこうと鼓舞する為に、ジャテイランが催されることも多かったそうです。
日本の植民地時代があったためか、ありがとう、さよならの挨拶が多くの村人から声を掛けられました。
日本語というより、インドネシア語になっていますね。

Jathilan adalah
”ジャテイラン”とは。
ジョグジャカルタを中心とする中部ジャワで有名な、竹で編んだ馬(クダ・ルンピン)を用いる最も古い地域芸能。”ジャテイラン”はジャワ語からきており、”めちゃくちゃに動き回る馬”の意。
共通しているのは馬を使うことだけで、様式・衣裳・構成・物語は多種多様に飛んでいる。
もともとはパンジー物語やマジャパイット王朝時代の戦士達の一生を描いていたが、現在では物語もオリジナル性に飛んでいる。しかし現在でも、魔物や獅子が出て来て戦士の邪魔をするが、戦士はそれに打ち勝つというスタイルを残してるものが多い。踊りと魔力の両の要素を持っており、憑依したりトランス状態になるまで踊り狂う事も多い。庶民の娯楽であったが、植民地時代は、植民地支配に負けず、頑張っていこうと勇気つける為に、芸能というメデイアを通す形をとったジャテイランが催されることも多かった。

2017年2月27日 16:30 〜

ジャワ舞踊のスタジオ、バレエのように子供達が基本から習う。
大船渡の郷土芸能団体実演含む(笹崎鹿踊、永浜鹿踊、石橋剣舞篠笛)
芸能ジャンル:ジャワ舞踊、スラカルタ(ソロ)様式
団体名:クスマ・インデュリア(舞踊団体)、Sanggar Wayang Bocah Kusuma Indria プラ・ジャガッナタ(ガムラン演奏団体)、Sanggar Karawitan Pura Jagatnata

レポート:鈴木昭司

団体名はクスマ・インデュリア。
ジャワ舞踊のジョグジャカルタ様式、ソロという地域のスラカルタソロ様式の両方踊れるそうです。

鹿踊のみなさんには、いたるところで踊っていただきました。
三人からは、どれだけこき使うんだ!?とで言われました(笑)。
毎回、汗だくで衣装が乾きません。
衣装をまとっただけで汗だくなのにさらに踊ってさらにそのあと、地物との人に一緒に踊ろうよって言われて…
最初は嫌な顔をしてましたが、踊ってるうちに楽しくなるという(笑)。
誤解をされるかもしれないですけど仏的な神道的な清く正しく美しく的な鹿躍の根っこを現地の皆さんも感じて姿勢が綺麗だと現地の子供達も皆言ってました。
他の場所でも同じように、美しいといわれました。
実はこのジャワ舞踊は大船渡にある郷土芸能とはちょっと違い宮廷からきてるダンスで、非常に位の高い人しか踊れなかったものが庶民に落ちてきたということです。実はここに先ほどのアテンドのドクター・ミロトの娘さんが入っていたり、立派な車が駐車場に並んでいたりと、割とハイソサエティというか、収入がしっかりある人が習うような場所で、ここを運営しているのもお医者さんだったりします。
皆さん非常に歯の矯正をしていたりとかですね…
先ほどのジャティランをやっている震源地の部落とは、相当の差を感じました。
この2箇所を行った時に、向こうは地域を一つにするための芸能なんですが
こっちは簡単に言うと習い事としてのバレエに近い感じがしました。

今まで笛吹いていたんですけど、スズキって言ってバイクに乗った形をすると子供たちに無茶苦茶ウケます。
ジョグジャカルタで、自動車もバイクも含めて「スズキ」は知名度が高いのです。
ここで、クスマ・インデュリアのレポートは終わります。

2017年2月27日 19:00 〜

シテイ・ステイヤさんの地震による被災からの復興の話を聞く。また、昨夜お邪魔したオマー・チャンクムの代表パルディマン・ジョヨネゴロ氏が途中から会話に参加
芸能ジャンル:ジャワ舞踊、ジョグジャカルタ様式
団体名:ダレム・プジョクスマン Dalem Pujokusuman
名前:シテイ・ステイヤ Bu Siti Sutiyah

レポート:前川十之朗

シテイ・ステイヤさんの旦那である、故ロモサスの確立したジャワ舞踊ジョグジャ様式を継承する舞踊学校。ロモサスは王宮での宮廷舞踊家でもあり、女踊りも達者であった。
もともとは男性しか踊ることができなかったために、女形のように女性舞踊を踊る舞踊家が沢山いたが、ロモサスもその1人。女役でもやはり男性が踊る女踊りということで、力強さが色濃く残るのがロモサススタイル。

シテイ・ステイヤさんの旦那である、故ロモサスの確立したジャワ舞踊ジョグジャ様式を継承する舞踊学校。ロモサスは王宮での宮廷舞踊家でもあり、女踊りも達者であった。
もともとは男性しか踊ることができなかったために、女形のように女性舞踊を踊る舞踊家が沢山いたが、ロモサスもその1人。女役でもやはり男性が踊る女踊りということで、力強さが色濃く残るのがロモサススタイル。

シテイ・ステイヤさんの地震による被災からの復興の話を聞く。
また、昨夜お邪魔したオマー・チャンクム

初日は、ジョグジャカルタの空港に昼着でジョグジャカルタで3団体回りました。
先ほどのクスマ・インデュリアで、ジョグジャカルタ2日目の3団体回ったんですけど、更に4団体目に連れて行きまして、みんな相当機嫌悪かったです。
みなさん、本当にすみません。ハードスケジュールで…

2日目ここに着いたのが8時過ぎていました。
ここはどういう場所かというと子供達に宮廷舞踊を教える先ほどのスタジオよりはもうちょっと庶民的な地域の、恵まれない子供達をサポートするような地域に根ざしたジャワ舞踊の稽古場です。
以前のジャワ島中部地震の時に全壊しましてそれをどうやって再建したかっていうことを派遣の皆さんも相当疲れている中で、重い話が始まりました。
大船渡でもいろんな方々の声をいただきましたが被災の話になるとリアルな感覚が呼び覚まされ、災害を追体験したような気になります。
ホテルに着いたのが、夜の11時過ぎていました。
ここで、ジャワ・ジョグジャカルタの交流は終わりです。。

次の日早朝、プラパナン寺院を見てそのまま飛行機に乗りバリ、デンパサールに飛びました。