「三陸国際芸術祭 Sanriku International Arts Festival in 六本木アートナイト「シシの系譜」

(2016年10月22日(土)12:00〜13:00@六本木ヒルズアリーナ)

臼澤鹿子踊、バリ島のバロン、コンテンポラリーダンス、バリ舞踊家のパフォーマンスにより、私たちのなかから生まれ出る「シシ(獅子)」のイメージを現出させます。
  各アーティストや団体が交流してきた経験を内包させます。

交流の経緯

 
2014年12月から2015年9月にかけて数回、JCDN主催プログラム「習いにいくぜ!東北へ」プログラムにてダンサー(磯島未来 Miki Isojima、今津雅晴 Masaharu Imazu)・音楽家(阿部一成 Kazunari Abe、櫻田素子 Motoko Sakurada)・
美術家(田中望)の5名が、2011年の津波被災地である、岩手県上閉伊郡大槌町(Ohtsuchi-cho,Iwatepref.)の臼澤鹿子踊保存会伝承館(Usuzawa Shishi odori Densyoukan)にて鹿子踊(Shishi-odori)を習い、9月の「大槌まつりOhtsuchi Festival」に共に参加。

2015年12月には、国際交流基金(Japan Foundation)とJCDNの共催プログラムとして「インドネシアと臼澤鹿子踊の芸能交流」で、臼澤鹿子踊より7名が、芸能の宝庫バリ島と津波被災地アチェを訪れ、各地の芸能団体やアーティストたちと交流。バリ島では、バトゥブラン村の観光客向けバロンダンスを見学し、バロンの踊り手、イ・マデ・マハルディカ氏と交流。シンガパドゥのコディ氏を訪問し、仮面舞踊トペンのレクチャーワークショプにて身体性や精神性、
社会性などを学部。また、ウブドのプンゴセカン地区にて、世界的に精力的に活動中のガムラングループ「スダマニ」スタジオを訪れ、リーダーのデワ・ブラタ氏のナビゲートにより、子どもから大人までの日頃の練習の様子を再現したパフォーマンスを見学、臼澤鹿子踊も返礼演舞、そしてグループ運営から多世代に渡る伝承の方法についてなど質疑応答を交わしました。
 
2016年2月、櫻田が大槌滞在し、インタビュー、大槌町内各所見学等、公演のための事前調査。
   
2016年3月、東京・国際交流基金にて「三陸国際芸術祭」及び「習いに行くぜ」報告会にて臼澤鹿子踊とアーティストの演舞
   
2016年8月26日〜30日、バリ島にて、バロンダンスと臼澤鹿子踊の打合せ、稽古
・臼澤鹿子踊より3名:東谷一二三、上野武夫、三浦貴志
・バリ島側:来日アーティスト3名(イ・マデ・マハルディカ、イ・デワ・プトゥ・ラ、イ・デワ・グデ・グナ・アルタ)
・コーディネート・ガムラン:櫻田素子 
・映像等記録:春日聡

2016年9月11日、三陸国際芸術祭メインプログラム(大船渡市盛町)に出演したバロンダンスチーム(バリ3名、トゥランブーラン3名)が、臼澤鹿子踊伝承館を訪れ、互いに交流演舞。
  
2016年9月15日〜19日 大槌町臼澤鹿子踊伝承館にて、臼澤鹿子踊と、今津、磯島、田中、櫻田、春日(記録)との打合せ、稽古、及び、大槌まつりに参加。

 以上の経緯を踏まえ、
   
・鹿子踊、バロンのそれぞれの基礎や起源となっていると思われる表現
・鹿子踊を経験したダンサーによる、その身体性等を特化した表現
・鹿子踊、バロンのそれぞれ現在演じられているものの、最も特徴的な演目をそのまま演じる場面 
・各芸能が対峙する場面、あるいは協調する場面
・上記の全体が一体に表現する場面
  
以上の4つの視点とまとめの5つを軸に、稽古、場面によっては創作をし、1時間の演目へと構成。
  
特に、ミーティングや稽古のなかで感覚的に互いに感じること、踊りや芸能、身体性や出自、あるいは文化の在り方などについて意見交換すること、など、交流し創作していく過程も本番ステージと同様に、このプロジェクトでは重要であると考え、進めてきました。

ガムラン演奏を担当する、Terang Bulan(トゥラン・ブーラン)の抱負

 岩手県大槌町に数ある魅力的な郷土芸能の中でも、その活動が注目に価する「臼澤鹿子踊」の皆さんと、芸能の宝庫バリ島の聖なる獅子バロンが交流する。その橋渡し役として、私たちのガムラン演奏が在ることができれば、嬉しく思います。
 そして、とある民俗芸能に、異国の地で異国の人として携わる私たちにとっても、未来に繋がる表現を共に模索することは、大きな意味を持つこととなると考えています。
 なぜなら、都市部における愛好者集団による芸術・芸能活動は、従来までの郷土芸能・民俗芸能を支える、土地や血縁者との密接な結びつきによるものとはまた異なるコミュニティーを作り出しているからです。
 人はなぜ、情報に埋もれ各々が生きることに忙しい中でも、何かに帰属したいと願うのか。
 そして、それらのコミュニティーの欲求による、表現の場=祭り、そのものを創出する動きも常に大きく感じられる。
 なぜ、表現したいのか。なぜ、社会は表現させたいのか。
 この動きはひょっとすると、民俗文化の継承についての悩みを抱える土地において、何かしらの発展的な発想の転換を与えるものになるかもしれない、とも感じています。
 様々な実演団体との交流演技、そして意見交換や議論を是非、続けていきたいと思います。

終わった後の出演者の感想

シシの系譜ディレクター・構成・音楽・演出  櫻田素子

 不思議な縁に導かれ「シシの系譜」という舞台は実現しました。この縁そのものが重要なファクターであると考え、3つの立場に立つ出演者各々の意見やインスピレーション、在り方を最大限に生かす内容を意識し構成しました。まず、伝承芸能である岩手の臼澤鹿子踊とバリ島の獅子バロン。次に、この2者の触媒となる、異国の音楽文化を演じてきた日本人ガムラングループ、トゥラン・ブーランとバリ・ダンサー。そして、「何か」を「シシ」との関わりから産み出そうとするコンテンポラリーダンサーと美術家。 日本とバリの「シシ」たちは、伝承されてきた型をそのまま演じ合いながら、絡み合い結果的に一つの世界を構築していきました。 この公演では、世代を超え、多くの縁ある人々の関係性の中で育まれてきた芸能の、奥深くにある「何か熱いもの」を浮かび上がらせたのであろう、という実感があります。熱いものとは何か。人々の祈り、感謝、願い、鎮魂の心、先祖を大切に想う気持ち、大いなる自然や超越した存在への畏怖と畏敬の念、等々。そして、芸能を生み出し演じるという情熱。継続し繋いでいこうとする情熱。 伝承し続けることも、新しいものを創出することも、一見異なることのようで、単なる時間感覚の差に過ぎないのではないか。人間が自らを超越するものと繋がろうとする、芸能や芸術の衝動そのものであることは変わらない。今後も時間をかけてこのテーマに挑んでいこうという思いを強くしています。    
六本木アートナイト2016の感想臼澤鹿子踊保存会 東梅英夫 「習いに行くぜ東北へ」のメンバーと、はじめて出会ったのは一昨年の2014年である。かつての郷土芸能にありがちだった「よそ者は入れない」風土は半世紀も前にとり払い「興味を抱いて訪ねてくる方々を快く迎える」が臼澤の特質でもある。このときも、深い意味も考えずに、遠いところから訪ねてくれてありがとう、ぐらいの気持ちで応じた。 しかし、これが今回の「三陸国際芸術祭in六本木アートナイト2016」にまで繋がることなどとは夢にも思い至らなかった。 2015年の、大槌祭りでは2度にわたる寝食を共にした事前合宿。12月には遥かインドネシアの、芸能の宝庫バリ島、津波被災地バンダアチェでの芸能交流が実現した。 今年、2016年には、9月の秋祭り練習の真っ只中、私達の臼澤鹿子踊「伝承館」に、バロンダンスチームが来訪、互いの交流演舞でたくさんの人々の喝采をうけた。 そして再び、プロダンサー、音楽家、美術家の面々が、大槌祭りに参加し、ともに汗をながしながら苦楽のひと時を過ごし、三陸の伝統文化と生きる人々の息遣いを共感した。 その延長上の「六本木アートナイト2016」、2年にわたる相互交流で、臼澤鹿子踊の多数のメンバーとも太い絆ができた中で、限られた人数しか参加できなかったのが唯一の心残りではあったが、400年の歴史に新たに輝かしい1ページとして加えることができた。この成果は有形無形計り知れないものがあるが、あえて列挙すると・国境を越えた活動機会に恵まれ完遂できたことで今後の活性化の大きな契機になる・子供達や若手も自信と誇りを自覚するとともに、人的ネットワークが広がった・世界に誇れる伝統文化ともいえる郷土芸能を残してくれた先人への敬意を再認識今日に至るまでの関係者の皆様にあらためて、心から感謝を申し上げたい。 田中望(美術家)
今回、コンテンポラリーの衣装制作を担当させて頂いた。私はこれまで、地域での取材をもとにした絵画制作を行っており、郷土芸能をモチーフとして扱うこともあった。それは、郷土芸能の衣装や動きというのが、切実な意味や自らの場所をもっていること、そしてそういうものが「型」となって何世代にも渡って継承されてきたということから、郷土芸能のイメージを通してその土地を表象することの可能性を感じるからだ。しかし、「衣装をを作る」というのは初めての試みだった。どこから取り掛かろうかということを考えた時、このプロジェクトが何を目指し、どのような場所から生まれるものなのかを考えなければならないと感じた。例えば、“郷土”芸能とは何なのか。東梅さんの言葉からは、芸能を通してその場所で育つ子ども達に何ができるかを常に考えていることが伝わってくる。それが郷土芸能なのかもしれない。一方、ある意味アーティストは根無し草的な存在で、だからこそ担えることがあるようにも思う。磯島さん、今津さんとの対話のなかで「郷土芸能は型を持つもの、でも我々のダンスは型がないもの」という言葉があった。その言葉から、ダンサーは「型」となっているものの根源にまでダイブするような実践を行っているのだと感じた。それは、場所に根拠を持ちながらも新しい意味を生み出す創造的な行為だ。今回の実践は学ぶことも反省点も多く、表現の場が対話の場に繋がればと思う。

今津正晴(コンテンポラリーダンサー)

今回、コンテンポラリーダンサーとして、参加させていただきました。
コンテポラリーダンス、臼澤鹿踊(岩手)、バロンダンス(バリ)、ガムラン(インドネシア)の様々な文化融合を沢山の人に見て頂く事が出来た大切な機会であり、またアートは人の目に触れ、心で華開くものです。
今年のテーマは、「回る、走る、やってみる。」それをアートでどのように伝えられるか、そしてそこから未来の扉をどのように開いていくか。体験して物事に触れ、夢中になる姿を見て、そこから踊りが生まれたのではないかと感じました。
私的な事ですが直前にある出来事があり、岐路に立った人間が何を考え踊るかという事を考えました。それは津波で未曾有の被害を受けた臼澤、バリの方々とは、比べ物にならないモノだと思います。ただ、我々はそうした状態の中でもアートに携わり、表現してきた。
人間とは感情を持った生き物です。
人間だからこそ、生み出せるアートがあり、感情の中で表現していくものであると実感しました。今回コラボレーションしたそれぞれの踊りもそんな様々な状況下(時代、民族、心)で生まれたモノではないでしょうか?
それは過去から未来へと繋がり大樹となり、温かい心を導いてくれる愛溢れるアートであって欲しいと自分は考えます。
最後になりましたが、今回のプロジェクトに関わってくださった方々に感謝の気持ちを込め、またご来場頂いた皆様にアートの心が広がる事を切に願います。

磯島末来(コンテンポラリーダンサー)

いわゆるコラボレーションではない、という関わりを今回目指したなかで、自分たちがどこまでいけたのだろう、と終わってしばらく経ってもこのことがあちこちを巡っている。
コンテンポラリーダンスという、ある種の枠や型を持たず時代とともに更新し続けているダンスを創って踊っているわたしは、今回の企画で時間や時代と共に型を作り上げてきた臼澤鹿子踊とバロンダンス、ガムランの演奏と並ぶことになった。
型のあるものとどう対峙することができるのか。悩んで話し合いを持つものの、結局は大きなベクトルの先が曖昧だったことが今回の大きな問題だったように思う。始まる前からも始まってからも話し合ってはきたけれど、やはりどこか向かう場所が定まりきらず、いざ稽古が始まって自分たち(コンテンポラリーダンスとガムラン)のところだけ取り出してみるとうまくいっている手応えはあっても、他のシシたちが現れると目的地がぼんやりとして道に迷う、弱くなってしまう。それはやはり残念なことでもあり悔しいことでもあり、同時にこれから起こせるかもしれないことや起こしてみるべきことへも想像をすすめてみる。
型を持つものと持たないものの共存。
何を見せたいか、というより、何をしたいのか、なのかもしれない。
だからこそ新しい時間を生むには、やってきたそれぞれの時間に劣らない熱量があって然るべきで、丁寧に話し合いも試行する時間も大事に持つべきであることを強く思う

ガムラン演奏 トゥラン・ブーラン 田中沙織

バリから来日した三人のアーティストとの練習で、印象に残っている言葉がある。「バリでは、祭礼のとき神々に楽しんでもらえるよう演奏する。そのためにはまず自分たちが演奏を楽しもうという気持ちが大事」初めての試みに不安な私たちを励ますように言ってくれたのだが、彼らの芸能に対する考え方や姿勢がとても素敵だなと改めて思った。本番前最後のリハーサルで、初めて衣装を付けた臼澤鹿子踊を見た。鹿子踊とバロンは、国も違い、遠く離れた地域で別々に育まれてきた芸能であるにもかかわらず、一緒に並んだときの違和感がほとんど無いことに驚いた。そして、お互いが対峙したときの迫力に圧倒された。ガムランには拍と拍のあいだで伸縮する「間」のようなものがほとんど無いため、鹿子踊とのコラボレーションではお互いの呼吸の違いに初めは戸惑った。リハーサルを重ねていくうちに少しずつお互いの音に歩み寄っていくような感覚が増していき、本番では、一体感のある空間を作りだすことができたのではないかと思う。シシの迫力と相まって、六本木とは思えないような空気に会場が包まれていたように思う。そして、バリから来日した三人にとっても素晴らしい経験になったようだ。太鼓奏者で作曲家でもあるデワ・ライさんは、今回の公演を通して、今後作品を創る上で多くのインスピレーションを得たと語ってくれた。このような交流は、お互いの芸能にとってとても良い刺激になると思う。今後も継続していけたらと思う。

バロン踊り手(尾) デワ・グデ・グナ・アルタ Dewa Gde Guna Arta

はじめに、日本へ招聘して下さり、バロンを踊りコラボレーションに参加する機会を下さった主催者とディレクターの櫻田素子さんに感謝いたします。 当初、このコラボレーションは、少ない練習時間でのプロセスで始まり、私は大変不安でした。 しかし、日本へ到着した後は、その不安はほとんどなくなりました。ガムラングループ・トゥラン・ブーランはガムラン演奏の優れたテクニックをマスターし、すでにバリ人のような速さで演奏し、バロンの踊り手として楽に踊ることができました。また、私たちバリからの3名の日本滞在における様々な手助けをしていただき、日本での2週間は、新しい家族ができたように、とても幸せに感じました。 私にとってこのコラボレーションは大きな成功でした。またこのような公演ができますことを願っています。  感謝を込めて。

バロン踊り手(頭) イ・マデ・マハルディカ I Made Mahardika

今回のコラボレーション作品で、私は、インドネシア・バリ島を代表するバロンと日本を代表する鹿子という2つの芸能が出会うという初めての経験をしました。そして、コンテンポラリーダンサーや日本のバリ舞踊家達とも共に舞台を作ることができたことはとても嬉しく幸せな経験でした。 2つの芸能の出会いは、互いに結びつき、全体で1つの大きな空間を形づくりました。これは、鹿子踊りの演奏者たちとガムラングループ・トゥラン・ブーランとの演奏によって、日本とインドネシアの感覚が1つになることができたことにもよります。 こうして、この公演は大きな成功を収めることができたと思います。      

ガムラン奏者 イ・デワ・プトゥ・ライ I Dewa Putu Rai

 私は、日本でのこのコラボレーションをとても恋しく、また、幸せな心持ちで感じています。それは、鹿子踊りとガムラングループ・トゥラン・ブーランとが、バリの芸能文化と非常に近いことに大きく心を動かされ、自分自身の感覚と、とても強く結びついたからです。 日本とバリの2者の芸能には多くの共通点が見られ、そして、このステージにおいて、2つの芸能は1つになることができるということが証明されました。 また、私に得難い経験を与えてくれたコンテンポラリーダンサー達への感謝の気持ちも忘れることができません。 そして、この公演を作っていくにあたって、始まりからそのプロセス、本番を実施し終了するまでを完璧に進め、たくさんの知識やスキルを与えてくれたディレクターの櫻田素子さんに深く感謝しています。 最後に、このコラボレーションにおいて、私たちはそれぞれが別々なものではなく、芸術・芸能に満たされて全てが完全に1つのものになり、また、皆が1つの感情・感覚を共有し、友情を分かち合ったのだ、と感じています。