CONTENTオンラインコンテンツ

【三陸芸能つなぐ声】  Episode 02|第二話「中野七頭舞の歴史」

  • 2021
  • 鑑賞

「七頭舞の由来について学ぶ」

ー 七頭舞の由来をお聞かせいただけますか?

山本:七頭舞に限っては古文集なんていうのは全くないんですよ。ここに今日こういうのがあるんですが、私と千田先生が学校で取り入れた頃にその活動を見て聞いて、ある年寄りがこういう書き物を書いて千田先生の所に持ってきてくれた。

ー この”黒森からきた神楽太夫”っていう天才の踊り手が七頭舞を作ったっていうのは聞いたことがあります。

山本:とは言われてる。これを書いた人はこの喜太郎さんの孫にあたる人が書いたものなんです。代用教員だったらしいんですけど、その人の孫が書いてますからどうしてもお爺さんの事ですから良いように変えてた部分も多分あると思うんです。ですからこれを丸のみに信じられるかっていうと…。

山本:この喜太郎そのものの存在がどういう人だったか。私も昔、神楽を習った時があったので、当時の神楽の太夫さん達や当時の年寄りから聞いた話では、この喜太郎という凄い神楽の達人がいたっていうのは「伝説的には話として聞いてる、分かっている」そうです。

この喜太郎さんが七頭舞を創始したとなってはいるんですが、隣の集落にも”中島七頭舞”っていうのがあって、今もやってます。まあ人数が少なくなって学校の発表会には去年くらいから出なくなったんですけど。その中島の隣に”岸部落”っていうのがあって、その岸にも”岸七頭舞”っていうのがあったんですよ。私らがやってる頃は町の郷土芸能祭には何回か出たことがあるんですよ。そこの岸の人達は「”岸”が七頭舞の発祥だ」って言ってるんですよ。これはお互いに声を張り上げているとね。

ー 喧嘩になってしまう。

山本:そうなりますから。私とすればあんまりこだわりなく、これはひとつの「浪漫」だと。

ー 中野七頭舞は今、全国的に有名ですから、どうしても神楽太夫が黒森神楽から持ってきて作ったっていう妄想が定説になってますね。

山本:”岸”が発祥だろうが”中野”が発祥だろうが「黒森神楽から来ている」っていうのはこれはもう間違いないですよ。踊りを見るとね。「この踊りは神楽のこの部分だな」っていうのがはっきり分かるんですよ。太鼓のリズムがもう黒森さんなんですよね。

ー 笛は違うように聞こえますね。

山本:笛っていうのは人それぞれなんですよ。決まったものがないんです。七頭舞の場合は複数で吹くときは、リーダーの吹き方に合わせて一つのものとして吹きますけども、一人になれば自分流なんですよ。全く違う風になるんですよ。

ー 先日、東京の中野七頭舞”一の会”に聞いたら、最初の音は高い音から入るって、でもこちらでは1つ目は低い音、その次高い音入るって。本家と一の会が違うはずがないと思ってたんですが。

山本:いや、それは私は違っていいと思います。踊りも違っていいと思います。そこはあまりこだわりはないですよ。

ー すごく細かく決まってるようにみえますね。足の運びとか太鼓の叩き方とかも。

山本:さっきも言う通り、人によって教え方・踊りが違うというのもありますから。「私は今日は恒喜流の踊りをお伝えをします」「違う人がみるというと『それは違うよ』と言われると思いますからそれも覚悟の上でやってください」というお断りをして、納得をしてもらった上での練習会をやります。その中でやっぱり、しっかりと私と全く同じ様な踊りをする人もいれば、何年も何年もやって私の踊りを基本としながらもその中で、自分が思っている芸に対する思いというのが当然入ってきますから、私はそれはそれで良しとするんです。「それはあなたの個性として大事にしてください」と。「俺の踊りとは違うけども基本的なものは私のものが伝わってますから、あとは自分の思う通りに沿ってく。それで良いですよ」と。この違いは私も認めて、それでいいと思うんですよ。

これがね皆同じようにきちっと同じ踊りしたってつまんないですよ。それぞれの特徴のある、自分の個性を出した踊りが出る。私はむしろそっちのほうを楽しく見れるんですよ。

ー 民俗芸能に対して寛大なところがあるから楽しいんだと思います。皆さんいい顔して踊られていますよね。

「七頭舞の役どころを学ぶ」

ー この間お話を伺った時に”ささら摺り”は後から加わったと教えていただきました。

山本:私が始めた昭和37年の頃には”ささら”っていうのはなかったですよ。ただ先輩の話の中には「昔は”ささら摺り”もあったよ」というのは聞いてたんですよ。”ささら”っていうのは、神楽の一番最後に道化役が出る。あれが本来の”ささら”なんですよ。保存会でもやってみようかということで(当時の)副会長がお酒が入るというと面白い踊りを面白おかしくする人だったものですから、彼が適任だなと思って彼に”ささら”を踊らせたのが始まり。
”ささら”はそもそも他のメンバーが踊る踊りとは違い、好きなように滑稽に踊ってみたり休んでみたりお客さんの手を引っ張ってみたりっていうのが道化役として。

ー 他のところはそうですよね。

山本:そうです。ところが、これが小学校で取り入れる際に子どもたちにはそれが出来ないんですよ。出来ないし、神楽の中ではすりこぎなんかを持って踊るんですが、そのすりこぎを男のシンボルとして観客の女の人に押し付けてみたりとかっていうのが、ごく普通にあるので。

ー 神楽の中に、笑いがある大人の世界がしっかりありますよね。

山本:そう。それをね、子供にやらせるっていうのは出来ないんですよ。ですから子どもたちには衣装は違うけれども踊りとすれば”小鳥”の踊りと同じ様な踊りをさせる。それが今に伝わってるんです。本来はそういうことだったんですよ。

「髪長姫〜アジアが紡ぐ笛ものがたり〜」中野七頭舞より”ささら摺り”

ー そうすると”ささら摺り”がいないと踊り手の衣装が6種類になって…。

山本:”ささら”がいないと七頭舞にならない。元々はいたんです。
ですからこの道具の説明も、踊りでいう役柄も正しいものっていうのは私らも「〜じゃないか」という推測の話しか聞いてません。色んな団体から由来とか道具の役目とか踊りの役目、そういうのを聞かれて説明するんですけども、それを聞くぐらいの人はある程度民族芸能の知識があって聞く人ですから、私らから聞き取った由来とか役柄とか踊りの意味なんかを聞いて、それに自分が持っているものを加えたり引いたりして出してるもんですから、団体それぞれが違うんですよね。これはもうしょうがない話だと思うんですよ。

ー 口伝ならではですね。

山本:簡単に言うと七頭舞の場合は一番最初の”先打ち”っていう1人が、開拓地を求める集団のリーダーとして来て、「ここは良い原野があるな」と。「ここを皆で開拓しようじゃないか」と指揮棒で「こっからここまでを開墾して」と。そういうのが”先打ち”の役目。

2番目の長い”谷地払い”っていう道具は、湿地であったりヨシとか茅とかっていうそういうのを薙ぎ払うとか倒すとかっていう。実際には、そういった原野をただの棒でできるわきゃないんですよ。取って付けたような話だと思うんですけど。

次に来るのが3番目の”薙刀”なんですよ。この薙刀は我々が聞いている話だと、太い木を切ったりとか倒したりとか、獣を追い払ってとかっていうことにはなってる。実際には薙刀で木が切れるわけじゃないですよ。太い木がね。

次が”太刀”、刀なんですが、この太刀は出来上がった作物を盗みに来る者たちをそれで征伐したりとか、野生動物をそれで退治するとかっていうことにはなってるんですね。

次の”杵”っていうのは、これは秋の収穫を祝ってということなんですね。餅を作って食べる。

次に来るのが”小鳥”っていう、鳥の烏帽子を使い弓を持ってという。これを説明を求められるのが、何で弓を持っているのか、鳥を射るための矢なのかという、本当に意味が分かんなくて答えようがなかったんですね。さっき話した、こっちが七頭舞の発祥だよっていう”岸七頭舞”。ここでの小鳥の役の説明、踊りがね<七頭舞>の一つなんですが、その弓を持った人達が踊る踊りがあったんですよ。これが「五方の矢」という、東西南北、天に向かって矢を放って邪気を払えとか。私はむしろそっちのほうが本当の役じゃないかと受け止めてるんです。

「三陸DANCE借景」岩手県立岩泉高等学校 中野七頭舞 より、中央で矢を持っている舞手が”小鳥”
中野七頭舞で使用する道具の数々。

※文中に表記されている「部落」とは「集落」の意味です。


取材・記録:大部仁・佐藤公哉・みんなのしるし合同会社
編集:青木美由紀




文化庁委託事業「令和3年度戦略的芸術文化創造推進事業」

主催:文化庁、三陸国際芸術推進委員会

オンラインコンテンツ一覧に戻る